伝説の竜の伝説
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ゆめむし座の六年、ロンファルの谷、伝説の竜来たる。
− モスエジン文書から −
第１章
月は明るく、城は燃えていた。
「我が王よ、竜は居座りましたな」
長い白髭の老人はフードを目深にかぶったままささやいた。
王と呼ばれた男は戦姿の初老の男だった。堂々とした体躯に鈍く輝く鎧をまとい手にした長剣は地に突いていた。兜はつけず淡い長い髪は髪飾りでまとめられていた。兜はそばに控える従者が抱えていた。
「長老よ、あなたの言葉は正しい。竜は居座った」
王は老人を長老と呼んだ。数十年前に父王が長老と呼んでいた老人だった。齢いくつになるのか誰も知らない。
「街の者は避難できたか」
王は近習にたずねた。
「はっ、すべて避難いたしました。すでに城邑には誰もおりませぬ」
「そうか。では皆に伝えよ、合図とともに仕掛ける。銃隊は合図とともに撃ち込め。騎兵は突撃準備」
「はっ」
近習は復唱し伝令に走った。
「まさか、この歳で戦をしようとは思いませなんだ」
王は長老に向かって微笑んだ。長老はフードをあげた。禿あがった乾いた頭としわだらけの顔が現れた。長老はうなずきながらささやいた。
「隣国ならいざしらず、竜ではしかたありませぬ・・・王子が亡くなられたこと、ご心痛察します」
「あれも、運の無い奴よ」
長老は答える言葉がなかった。
伝令が駆け込んできた。
「竜が、塔から降りて町を！」
王は剣をあげた。
「合図を。馬をひけ！余も出るぞ」
近衛隊の騎士がかぶら弾を撃った。鋭い響きが夜空に響いた。すぐに銃隊の射撃が始まった。城の塔から町に降りた竜のまわりに銃弾が降り注いだ。
その射撃が終わると同時に騎兵による突撃が行われた。この夜二度目の突撃である。最初の突撃で騎兵の半分と王子を失った。その雪辱を込めて王自ら二度目の突撃の先頭にたつ。
愛馬とともに去った王を目で追いながら長老はゆっくりと首をふった。兵に竜は倒せぬ。
果たして二度目の攻撃も失敗した。竜に多少の傷は負わせたものの騎兵の大半は還らず、頼みの銃も弾が尽きた。
竜は壊れた町から半分崩れた城の塔の上へ戻っていた。朝の光の中、黒い鎧のような鱗におおわれた巨大な雄竜は塔の上にとどまり王のいる丘を睥睨していた。その姿は雄々しく自信に満ちあふれていた。
「我々はこの地を去るしかないのだろうか」
傷つき疲れきった王は泥にまみれた顔でつぶやいた。たった一夜の戦で十年も老けてしまったような王の姿に近習達は不安げな顔をしていた。
「王よ、まだ手が尽きたわけではありませぬぞ」
長老の声に王は首をあげた。
「長老よ、どんな手が残されてるというのだ」
「王よ、私の伝え聞いたことによれば、竜に生贄をささげることで竜の怒りがとけるかもしれませぬ」
「生贄、だと」
王はいぶかしげに聞き返した。
「はい。竜は人を好みますゆえ、清らかな乙女を生贄に」
「長老、あなたは・・・」
目を見開いた王に長老は告げた。
「はい、姫さまに。それが王族ゆえの・・・」
王は長老に最期まで言わせなかった。歳を取ってからできた王女は今年十五になる。王の宝だった。
「言うな。わかっている」
長老は黙って頭を下げた。
日が昇り、王女を乗せた輿の一行は町へ近づいていた。輿の上には鎖で縛られた王女の姿があった。薄衣をまとった王女はその繊細な細工物のような顔を伏せ自らの王族の血をうらんでいた。
「私は王族ゆえ、竜に嫁ぐのか。今日までの幸せは竜の嫁となる代償か」
「姫さま、御勘弁を」
輿のそばに控える長老の声が王女に聞こえた。長老の小さな体が輿のすぐ側を歩いていた。王女は応えず黙った。ただ涙を落とした。
輿をかつぎ警護を勤めるのは自ら王女の警護を志願した秀麗な青年騎士達だった。彼らは王女の姿を見てくやしさに歯を噛みしめた。
やがて一行は塔の前にたどり着いた。眠るように目を閉じていた竜が動いた。薄く目をあけた竜は首をあげて一行を見下ろした。勝利を誇るように彼は人間たちを見下ろした。
長老は竜に向かって叫んだ。
「ともに神に愛されし者なれば、我が言葉もわかろう。我らから贈ろう、受け取られよ」
長老の声は廃墟によく透った。竜は贈るという言葉に反応し、そして理解したのだろう、目を見開いた。竜の発した人語はくぐもり聞こえにくかったが意味ははっきりとわかった。
「よい。好みだ・・・」
と竜は言った。
王女は絶望と恐怖に震えた。長老は内心ほっと息をついた。
長老は皆に下がれ、と伝えようとした。その時、竜が動いた。
その巨大な身体が塔の上からひるがえり、翼を広げた竜は輿をめがけて急降下した。
「うわあああっ」
「きゃあっ」
王女の叫び声が長々と響いた。竜の巻き起こした生臭い突風に長老を始め周りの者は慌てて伏せた。竜のはばたきが空の高みへ去ってゆく。
「姫っ」
身を起こした長老は空へ向かって叫んだ。
「姫ーっ」
「きゃーっ」
王女の叫びは続いていた。だがそれは輿の上から発せられていた。輿の上には頭を抱えて叫び続ける王女の姿があった。
「なぬ？」
再び空を見上げた長老は竜に咥えられた男の姿を見た。その近衛騎士は国一番の美男と呼び声も高い男だった。
長老は瞬時に思い出した。
「あれは・・・伝説の・・・薔薇の竜・・・」
飛び去る竜は幸せそうに見えた。
さんさんとふり注ぐ陽光の中、茫然とした一行と叫び続ける王女だけが残った。
終章
ゆめむし座の六年、ロンファルの谷、伝説の竜来たる。騎士、身を呈して王女を救う、とだけ記録には残されている。
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