銀の沙のケース (1)

ブーカの夢

　ブーカ・ラクハンは目覚まし時計と同時に起きることができた。眠っていても夢を見ていても目覚まし時計が鳴り出す瞬間がわかるのだ。だから、その日も一瞬前に目覚め、すかさず毛布の中から手を伸ばして鳴りかけたベルを止めた。そのまま時計を取り上げて夜行塗料の塗られた針を読み取ると午前五時をさしていた。
　彼女はベッドの中から目だけ動かした。部屋の中は暗かった。まだ、太陽灯が灯る時間ではないのだ。外は、サイド３第１４番地の内殻は夜が続いていた。
　ブーカは肩が冷たくて毛布をあごまで引き上げた。暗闇の中で目を開いたままぼんやりと考えた。
　ブーカはあと三ヶ月で高等学校を卒業する。すでに進路を決めているクラスメートが大半だったがブーカはまだ進路を明かしていない。
　飛び級しているブーカに先生は進学を勧めたがブーカは断っていた。前は進学するつもりで勉強していたが今は違う。
　まだ両親や学校には言ってない。ただ、その進路を明かすと父や母はなんというだろうか、とブーカは心配だった。二人はブーカが進学するものと思っているのだ。
　暗闇の中に父と母の顔が浮かんだ。
　ブーカの父は宇宙艦艇の設計技師だ。サイド３が独立をほのめかし始めたころから父は忙しくなった。ブーカがジュニアスクールを卒業するころから父は日に一度だけ朝食にとりにくる時以外は事務所に詰めている。事務所はジオン公国宇宙軍の工廠で、いつのまにか父は籍を軍に移していた。
　暗闇の中に浮かんだのは父が連れていってくれた宇宙港の光景だった。
　一年前に父はブーカと共にベイ・エリアへ行った。そこにジオン公国宇宙軍工廠のドックがあった。
　シールドされた一角に厳重なチェックをうけて入ると、無重力ドックが広がり、その真ん中に平たい金属構造物、建造中のザンジバル級機動巡洋艦が鎮座していた。上部船殻はほぼ完成していたが下面は進んでいない。この時期、ザンジバル級を特徴づけるリフティング・ボディの形状と機能はいまだ確定していない。それが確定するのはブリテッシュ作戦終了後である。当然に艤装はまだで主砲の部分にはぽっかりと穴があいていた。父の担当しているのはこの船だ。
　父は内火艇を用意させるとブーカと共に乗り込んだ。若い兵士の操縦でコロニーからでると、ベイからのびた桟橋に四隻の艦艇が整然とならんでいた。ムサイ級が二隻にチベ級の一番艦と二番艦。内火艇は四隻がよく見える位置をゆっくりと漂った。
　父は船を指差して説明した。ブーカはムサイ級のそばに浮いている二つの物体に気づいた。はじめは宇宙服を着ている空間作業員かと思ったが雰囲気が違う。遠近感がおかしい。宇宙船だとすると人の形をしているのが変だった。
「お父さん、あれは？」
　ブーカの指を追って父は目を細めた。
「モビルスーツだ」
　二機のモビルスーツはゆっくりとムサイ級巡洋艦から離れ、突然に加速した。
　二機のモビルスーツはブーカの視界でみるみる大きくなった。二機は内火艇へ近づき赤いモノ・アイで一瞥した。ブーカの見ている前で二機はバーニアからまぶしい光をまき散らし、ハンマーではじかれたように運動方向を変え、加速した。二機は外へむかった。みるみる光点は小さくなり視界から消えた。
　内火艇を操縦していた兵士が振り向いて言った。
「負けませんよ」
　ブーカは消えた光の方を茫然と見つめつづけた。
　コロニーから戻ってもブーカの心はモビルスーツを想いつづけた。やがてブーカは進路を決めた。進学することを期待する父や母が許してくれるか気になったが、ブーカはブーカのやりたい事をやりたかった。
　今日こそは言おう。ブーカは暗闇の中で朝をまった。

「食事ができたわよ」
　母の声が階下から響いてきた。ブーカはブラシをかけた制服に袖をとおしながら応えた。
「はい、いま行きます」
　ブレザーのボタンをとめたブーカは姿見の前でくるりと回った。銀色の髪は邪魔にならないようにまとめていた。濃紺のブレザーは隙なく身に付けていた。胸元の深紅のネクタイもきっちりしまっていた。
「うん、よし」
　ブーカはひとりうなずくと部屋を出た。とんとんとリズミカルに階段を降りて食堂へ行った。
　食卓にはすでに父も母もついていた。
「おはようございます」
　ブーカは食堂の入り口で父へ挨拶した。
「おはよう」
　ブーカの父は暖かい微笑みをみせた。父はどんなに仕事が忙しくとも朝食はこのテーブルにいた。
　ブーカが食卓につくと父は静かに言った。
「感謝のお祈りを」
　ブーカの父は胸のところで手を合わせた。父と母とブーカの三人の短い祈りの時間がすぎた。
「では、いただこうか」
　と父の言葉でラクハン家の朝食が始まった。三人は静かに食事をとった。
「お父さん、お願いがあるのですが」
　食事が終わり、ブーカは改まって言った。
「なんだい」
「私は宇宙軍に入ります」
　父は少しだけ眉があがった。それを見たブーカは父はとても驚いていると思った。
「宇宙軍か。よく考えたのかい、ブーカ」
「はい」
　父は母の顔をちらりと見た。ブーカの母は微笑みながら小さく首を振った。父は眉を寄せて考え込んだ。
「ふむ・・・・ブーカ、おまえが自分で決めたのだね」
「はい」
　ブーカはまっすぐに父の目を見て言った。真剣な目だった。
　この目を何度か見ている父は理解した。だが、軍に入るとは意外だった。
「変わった娘だな、君は」
　父はブーカを見つめた。母は小さく首を振った。
「私は女の子だと思うのはずいぶん前からやめてますよ」
　母は微笑んだ。
　確かに女の子らしい遊びをしているところは見たことがなかった。小さいころから宇宙船のパイロットになってお父さんの作った船に乗るんだと言っていた。
　父はブーカを見つめながら彼女が小さかった頃を思いだした。ややあって父はたずねた。
「軍と言ってもいろいろあるが、君は何を選ぶつもりだい」
　ブーカは答えた。
「モビルスーツです」
「も、モビルスーツ」
　予想と違う応えに父の眉はふたたびあがった。とっても驚いているわ、とブーカは思った。ブーカはもう一度言った。
「私はモビルスーツ・パイロットになります」
　食卓が赤や黄色のランプの光で彩られた。すでにザクのコクピットだった。耳障りな警告音が響き、主スクリーンの中のサブウィンドゥには接近する脅威、敵の放ったミサイルのモニタが出ていた。
　黒いノーマルスーツに身を包んだブーカは距離とベクトルを認識するとザクマシンガンを発射した。爆発するミサイルの破片をかわした。
　宇宙空間の戦闘は相対ベクトルが生死を決める。
「敵は、敵はどこ」
　ブーカは敵を探した。と、全方位警戒装置が鳴ってサブスクリーンがひとつ開いた。爆発のガスと飛び散るザクの機体が映っていた。
「ハートゥ！！」
　ハートゥがやられた。驚く間もなく次のサブスクリーンが開き、そこにはビームに貫かれる瞬間のラズィ機が映った。ラズィ機はピンク色がかった高温のガスに包まれた。
「ラズィ！！」
　ラズィの爆発の映っているスクリーンを白い影が横切った。
　一枚のサブスクリーンが開き、それが映った。連邦軍の白いモビルスーツ。
　主スクリーンにその位置とベクトルが表示された。高速で接近してくる。
「来い！」
　ブーカはザクを回転させると白いモビルスーツを真正面から受ける構えを取った。ザクマシンガンを連射する。主スクリーンの中で目標指示ボックスに囲まれていた白いモビルスーツはみるみる大きく迫ってきた。ザクマシンガンの命中をものともしない。
「効かない？効かないの？どうして、それじゃ戦えないじゃない！」
　白いモビルスーツは近接戦闘用のビームサーベルを起動した。まばゆい光の剣が圧倒的な熱量を発しているのが感じられた。それはザクの装甲をやすやすと貫く。そこからわかる簡単な結末。
「強い、強すぎるよ」
　ブーカは恐怖を感じた。逃げなきゃ、逃げなきゃ、思い切りフットペダルを踏み込みザクを後退させた。だが白いモビルスーツの接近のほうがはるかに早い。近づいた白いモビルスーツはビームサーベルを一閃させた。ブーカは避けきれなかった。右腕を斬られた。主スクリーンの右端に警告の赤いシンボルが明滅した。
　さらに斬りかける白いモビルスーツにブーカは逃げるしかない。赤く明滅する計器はまたたくまに増殖しコクピットが赤く染まった。何種類もの警告の電子音がヒステリックに鳴り響き、思うように動かないザクを操作してブーカは必死で退がった。
　ビームサーベルの切っ先がスクリーンの直前を何度もかすめ、それが目の前いっぱいに迫り真っ白に光る主スクリーンを突き破って、コクピットが貫かれる。
「わあああああああっ」
　暗い闇の中でブーカは目覚めた。ローレライのパイロット・ルーム。無重力ベッドに固定された彼女の額には銀色の髪が一筋、汗で張りついていた。
　彼女は両手で顔をおおった。
　また殺された。
　この前は丘の続く地上で、その前は海の見える平地で、そして今回は宇宙で。何度も何度も夢の中で殺されつづけている。
　暗い船室にはいくつもの無重力ベッドが折り重なるように浮かんでいた。ブーカはベッドの中で黙って泣いた。

to be continue...