ブーカの休日

　地球でもっとも大きな陸地、ユーラシア大陸。そのヨーロッパ・エリアとアジア・エリアの交差するエリアに広がる内陸の海、黒海。その北岸に栄えるオデッサは古くからの港町だった。現在のオデッサは黒海の北の港として、そして宇宙と地上を結ぶ宇宙港として機能していた。
　第１次地球降下作戦でオデッサを手に入れたジオン公国軍は、すばやく陸上戦力を展開し、付近の鉱山を手に入れた。また、セグァストポリの連邦軍軍港を叩き、黒海における連邦の制海権を弱めたのだ。キシリア中将とマ・クベ大佐はジオン公国の新しいオデッサを作り上げていった。現在のオデッサはユーラシア中央軍の拠点として、特殊鉱物の一大打上基地としてジオン公国宇宙軍の生命線となっていた。
　その重要性を示すように、オデッサ市沖合いの黒海の海上に設けられた宇宙港では絶えずシャトル発着していた。補給物資と人員が満載されたシャトルが降りて、入れ代わるように精製済鉱物を積んだシャトルが飛び立ってゆく。ブースターの熱と冷却用水から立ち上がる蒸気と大陸の埃が、宇宙港の広大な敷地を霞ませていた。
　一隻の中型シャトルが厚い雲を抜けて降下してきた。レールの上を滑るように安定した姿勢で着陸するとまたたくまに静止した。どこからともなくタンクを積んだ車両が２台現われ、シャトルの側に近寄り止まった。シャトルが規定温度まで冷えるのを待ってから、シャトルに向かって大量の温水を噴き出した。もうもうと水蒸気が立ち込めた。
　洗浄が終るとタンク車両は次のシャトルに向けて走り出した。代わって近寄って来たのはタラップをつけたバスとトラックだった。
　シャトルのコクピットが暗くなり、ハッチが開いた。緑色のツナギを着た地上整備員がタラップを寄せ連結した。貨物扉が開いてコンテナがベルトコンベアで運び出された。手荷物を抱えた補充兵たちは、狭いハッチから這い出すように出て来た。タラップを何歩も歩かずに、彼らは空を見上げ、厚い雲に目を見開き、生暖かい水蒸気を肌で感じ、なによりも大陸の埃の混じった冷たい風に、重力の底で戦うことを実感するのだ。　

「地球に来るのも久しぶりだわ」
　銀髪の美少女、ブーカは強い風に髪を押さえながら言った。スマートな身体をつつむジオン公国軍の黒い制服に銀色の髪が美しかった。
「久しぶりって、ブーカはコロニー生まれだろう」
　ブーカに続いてナップザックを肩にかけた浅黒い肌に黒い髪の男、グランヒッコリがハッチから出てきた。彼も黒い軍服を着ていた。
「そうだけど、アドリア海に別荘があるから・・・」
「別荘！　ブーカはお嬢さまなのか」
「そう見えない？」
　両手で大きなバッグを抱えたブーカは笑いながらタラップを降りて行った。
　グランヒッコリはタラップの上で地平線を見回した。
　ジオン公国軍ユーラシア大陸軍の宇宙港、オデッサ基地。コンクリートの広い滑走路の彼方に黄色い砂塵が巻きあがり、空は黒い雲でかげっていた。黒海の水はくすんだ色で広がっていた。
　グランヒッコリにとってもコロニーへ移民して以来の地球だった。南太平洋ではなくて残念だが、観光で来たわけじゃないからしかたない。
　だが、いま見る風景はグランヒッコリの記憶の地球のそれとだいぶ違っているように思えた。
「空はこんなに暗かっただろうか。風はこんなに冷たかったろうか」
　独り言ちると、彼はほこりっぽい風の中、タラップを降りて行った。

　スピカ艦隊、第二○八哨戒戦隊、臨時モビルスーツ部隊で連邦軍の謎のモビルスーツと戦った直後にグランヒッコリとブーカはグラナダ基地への移動が命じられた。
　そこでスピカ艦隊付きのＭＳ隊の任務を解除されて、突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将麾下の部隊への異動が発令された。驚く間もなく地球行きの輸送船に詰め込まれ、補給船で送り込まれたのが、マ・クベ司令官の特殊鉱山基地だったというわけだ。

　長旅を終えた彼らは休む間もなくMS-06J陸戦用ザクの慣熟訓練に入った。
「おまえらの知っている重力は遠心力による重力だぁ。だがぁ、ここは地球だ。地球の重力はジャンプしても変化しない。それにぃ、風だぁ。地上では風が吹くのだぁ。そのへんを注意して、操れぇ」
　と、教官。
「あったりまえじゃない。もっとましなこと教えてよね」
　と、ブーカ。
「Ｊ型は、Ｆ型より軽量化されてるしぃ、推力も向上しているぅ。ジャンプによる移動が戦闘時の基本だぁ」
「あー、もういらいらする。なんだってこんなあたりまえの事を聞いてなくちゃならないの？」
「ではぁ、そのへんを注意して実技に入るぅ」
「やったあ」
　グラナダから降りて来たパイロット達はセバスポートリ基地で三日間の訓練に入った。
　ブーカのＪ型の慣熟は速かった。教官は話す事は苦手なようだがＪ型の扱いはうまかった。だがブーカの操作によるＪ型の運動は、ともすれば教官のそれを陵駕した。
　訓練の最後に教官相手の模擬戦闘が行われた。このオペレーションの最中にブーカの操るJ型に正面から攻撃された教官のザクは、ブーカ機と距離をとるのに滑るように後方へ下がった。ブーカはコクピットの中で叫んだ。
「な、なに、今の動きは？」
　教官機は距離を取ったところで反撃に転じ、またたくまにブーカのザクの胸部に赤いペイントが飛び散った。
　訓練は終了した。しばらくブーカは考えこんでいたが、やがて独りうなずくと傍らで心配していたグランヒッコリににっこり微笑んだ。
　全課程が終了し、最後の訓示が教官から行われた。ブーカもグランヒッコリも並んで立った。
「あー、訓練はこれで終わりぃ、次に諸君がザクで戦う時は実戦であるぅ。モビルスーツを持たない連邦軍相手の戦闘はぁ、訓練よりもぉ、楽であるからにしてぇ、諸君のぉ健闘を祈るぅ」
　一列に並んだ訓練生を見渡し、教官はつかつかとブーカの前にやってきた。
「ブーカ・ラクハン軍曹。君はセンスがいい。がんばれよ」
「ありがとうございます、教官。教官もがんばってください」
　苦笑する教官にブーカはにこっ、と笑って見せた。

　訓練が終るとパイロット達は各々任地へ散って行った。彼らと別れを惜しみ手をふるグランヒッコリとブーカもルーマニア方面への移動が待っていた。
　彼らはセバスポートリ基地からコンスタンツァへは船で、そこからは空襲の合間をぬって鉄道で北へ移動した。
　最初は楽しそうなブーカだったが、鉄道移動のもの珍しさになれてシートが硬く感じられるようになると、どんどん不機嫌になってゆき食堂車での退屈しのぎにも飽きて、可哀想なグランヒッコリにやつあたりを始め、ようやく目的地ブカレストに着いた頃ににはすやすやと寝息を立てていた。
　グランヒッコリに鼻をつままれて起こされたブーカは、不機嫌をあらわに列車から降りると迎えに来ていたジープに乗り込んだ。
　まっすぐ街外れの飛行場へ向かう。そこに彼らの目指す中隊司令部があった。
　街は賑やかだったが、慌ただしかった。民間人の運転手に尋ねると、少し前にテロがあったのだそうだ。
　中隊司令部は飛行場のそばの煉瓦作りの小さなビルだった。ジオン公国の旗が掲げられ、スクーターが一台壁に立てかけられていた。
　歩哨の厳しいチェックを済ませて、ビルの外観に似合わない自動ドアをくぐって中に入ると埃がうっすらと漂う廊下の奥に中隊長の部屋があった。
　ドアを開くと背の低いがっしりした体つきの男がいた。口ひげを生やしたおやじ風の男は二人を暖かく迎え入れてくれた。階級章は大尉。大尉の後ろにもう一人の男がいた。その中尉の階級章をつけた長身で色白の若い男が神経質そうに二人を見つめた。
　グランヒッコリとブーカは大尉の階級章の男に向かって敬礼をした。
「本日付けで配属されましたグランヒッコリ・グラーグ少尉です」
「おなじくブーカ・ラクハン軍曹です」
　敬礼する二人を手でおさえながら口ひげのおやじが言った。
「私が中隊長のバルザップだ。この背の高いのがナガイ少尉。私の補佐をしてもらっている」
　いやいや、君達のような元気のある若者が来てくれてうれしいよ、などと言いながらバルザップは自分の机、スチールの事務机に座りグランヒッコリ達にも椅子を薦めた。ブーカは遠慮なく座りグランヒッコリは礼を言ってすわった。
　バルザップは机の上の両切り煙草に火をつけた。
「楽にしてくれ。言葉も自由でいい」
　と言うとぷかりと煙をはいた。
「地球には慣れたかな、えーとラクハン軍曹」
「ブーカと呼んでください、隊長」
　ブーカはにこにこしていた。
「わたしは地球には何度か来ているから平気です」
　そう言ったブーカはグランヒッコリの方をちらと見てさらに言った。
「グランは地球生まれだからなおさら平気」
「グランって、グラーグ少尉のことかな？」
「ええ、彼は長い名前だからわたしはグランと呼んでいるの」
　バルザップはグランヒッコリの方を見た。
「そうなのか、少尉？」
「はぁ」とグランヒッコリ。
「ははは、私もグランと呼ばせていただこう。いいだろう、少尉」
「・・・はい」
「ははは。楽しそうなコンビだな」
　バルザップは楽しそうにブーカを見た。ナガイは眼をまるくしてブーカを見ていた。
　バルザップは最近の宇宙軍の話題などを持ち出した。グランヒッコリが二〇八哨戒戦隊で遭遇した連邦の謎のモビルスーツと戦った話を興味深そうに聴いた。
「そうか、連邦のモビルスーツはそんなに丈夫か」
　というバルザップの言葉に
「白いモビルスーツも丈夫らしいですよ」
　と、ナガイは白いモビルスーツの情報を語った。バルザップはうなずいた。
「白いモビルスーツを沈めるためにランバ・ラルが降りて来ているそうだ」
「えっ、ランバ・ラルが！！」
　グランヒッコリとブーカは驚いた。
「苦戦しているらしい」
「ランバ・ラルが苦戦・・・」
「今、どのへんにいるの？」
「カスピ海の南方らしい」
　バルザップが答えると、無言でナガイは立ち上がり壁の地図を指で辿って見せた。バルザップはにわかに厳しい表情となった。
「司令は連邦軍の大規模な攻勢を予想されている。木馬の移動はきたるべき攻勢に呼応したものだろう」
　とバルザップは煙草を深く吸い込み、鼻からもうもうと煙を吹き出した。
「我が軍は正面の連邦の行動を阻止すべく近日中に作戦がある。君たちも着任早々であるが出撃してもらうぞ。なにせ中隊とはいえ我々にはザクが六機しかないからな」
「六機のザクに誰が乗るの？」
「私とナガイ。あとで紹介するがラズィ軍曹とハートゥ上等兵。そして君達だ」
「というとわたしはザクに乗れるのね」
「うむ。届いたばかりのＪ型だ」
「・・・うれしい」
　子供が喜ぶようにブーカは心底うれしそうな顔をした。グランヒッコリは黒海の訓練でのブーカの成績をぢかにみて知っているからいいが、バルザップとナガイははしゃぐブーカに顔を見合わせた。
「グラン、ブーカ、君達は今日の所は休んでいてよろしい。明日からはよろしく頼む」
「はいっ」
　バルザップは立ち上がって敬礼した。グランヒッコリとブーカも敬礼した。

　宿舎は街に近いホテルだった。建物は煉瓦作りの古めかしいもので内装も外装とおなじく古びていた。入り口の簡素な造りのロビーの奥にフロントがあった。そこに軍服を着た片腕の男がいた。宿舎担当の兵だ。
「はは。地球に降りてすぐに左腕をやっちまってな」
　と彼は笑いながら二人の手続きを済ませた。
「本国送還を希望したんだけど人手不足でよ、地球から出られねぇ。で、今は宿屋のおやじよ」
　グランヒッコリもブーカも訊ねていないのに男はよくしゃべった。
「ところで嬢ちゃん、こちらの彼は彼氏かい？」
　ブーカは首を横に振って応えた。グランヒッコリは黙って先に部屋に向かう。
「なら、今夜いっしょに食事でもどうだい。街を案内するぜ」
「けっこう、もっといい人探すから。それに、嬢ちゃんはやめてね。わたしはブーカって名前があるんだから」
「つめたいね、ブーカさんは」
　エレベータの扉を足でおさえながらグランヒッコリが怒鳴った。
「先行くよ！」
「待ってよー」
　ブーカは駆け足でエレベータに乗り込んだ。フロントの兵はそんな様子を見て肩をすくめた。
「怒鳴んなくてもいいじゃない」
　エレベータが動きだすと階を表示するランプを見つめたままブーカが言った。
「待ってる身にもなれよ」
　グランヒッコリもランプを見たまま言った。
「こころ、せまいわよ」
「おれが？　どして？」
　それっきり二人はだまった。
　チン、とベルが鳴ってエレベータが止まった。ブーカはずっと上の階なのでグランヒッコリだけエレベータから出た。彼は振り返ると扉が閉らないように押さえた。
「バルザップ大尉が街の観光でもしてこいと言っていたぞ」
「そう、」
　そっけなくブーカは応えた。
「街に行くなら案内に一人つけてくれるそうだ」
「そう、」
　ブーカは機嫌を悪くしているのか、無愛想に応えた。グランヒッコリは腹が立ったが念のために聞いていた。
「そうって、行くの行かないの？」
「行くに決まってんじゃない。ロビーで待っていてよ。準備出来たら行くから」
　扉がしまり、エレベータは上がっていった。閉った扉の前でグランヒッコリはため息をついた。



「ほんとはラズィ軍曹に頼もうと思ったのですがね」
　と、ナガイは困ったような顔をして言った。
「軍曹はモビルスーツのチューニングをしてて、というのも前の戦闘で彼の乗機が大破してしまって、昨日、修理が済んだザクが帰ってきたんですうわっ！」
　ナガイはブレーキを踏み込み、ジープはタイヤを鳴らして止まった。路地の真ん中でボールを抱えた子供が凍り付いていた。
「おどろかしてごめんよ」
　ナガイは運転席から身をのりだして謝ると、再びアクセルを踏んだ。ナガイの運転にグランヒッコリとブーカを乗せたカーキ色のジープはふたたび街の中を走り出した。
　街の建物は金属とコンクリートのビルよりも石造りの時代がかったビルが多かった。広い通りはアスファルトで舗装されていたが、少し細い道路に入ると石畳だった。遥か中世から綿々と都市でありつづけた街は、二十世紀の都市整備にも姿を変えることなく現在に至る。
　その石畳の曲がりくねった路地を軍のジープを運転しながらナガイは二人がなにも聞いていないのに喋る。助手席のグランヒッコリはうなずきながら聞いていたが、後席のブーカは全然聞いていなかった。シートの上できょろきょろしていた。
「で、ハートゥに頼もうと思ったのですが、彼は非番でいませんでした。それで僕になりましてね」
「お忙しいところすいませんね」
　とグランヒッコリ。
「いや、休めてうれしいですよ」
　ナガイは弱々しく笑うとハンドルを切った。ジープは鋭角的に角を曲がった。急なハンドルにグランとブーカは腕をつっぱって身体を支えた。
　石畳がアスファルトの舗装路に変った。少し広い道路に出て、そのまま直進するとロータリーに石造りの大きな門があった。
「あれが、凱旋門です」
　ジープはロータリーを通り過ぎた。ブーカが後ろから身を乗り出して質問した。
「なんの凱旋？」
「さぁ？？」
　ナガイは首をかしげた。ブーカは顔をしかめた。
　ジープは街の中心に向かって走った。道路は舗装されているが不規則なカーブが多く、交差点でも三叉路や五叉路があたりまえのようだった。
「えーと、この角だったかな・・・」
　ナガイはつぶやきながらハンドルをきった。そのたびにジープはタイヤを鳴らして曲がった。グランヒッコリはシートベルトを締めておけばよかったと後悔したし、ブーカは後ろの席でごろごろ転がった。
　ナガイの急ハンドルの運転に慣れてきた頃にジープは目的地についた。
「ここがルーマニア美術館です」
　ナガイはうれしそうに言った。だが二人はうれしそうでもなかった。かろうじてブーカが言った。
「どんな絵があるの？」
「さぁ、きれいな絵とか絨毯がありますよ」
　ナガイは二人が降りる気配が無いので、ジープを発進させた。ナガイは隣のグランに向かって訊ねた。
「絵には興味がありませんか」
「あんまりないねぇ」とグランヒッコリ。
「僕も無いですよ」とナガイ。
　むむむ、とグランヒッコリはうなった。
　ジープは狭い道を鋭角的に曲がりながら次の目的地を目指した。
「次はどこへ連れて行ってくれるの？」
　ブーカは後ろの席から身をのりだして聞いた。
「ええと、聖人のミイラが眠るお寺です」
「寺？ＴＥＲＡ？」
「いいえ、ええと、教会です。小さいけれどすごく古い建物だそうです」
「ふーん。いつ頃建てられたのかしら？」
「さぁ、ずいぶん前らしいですよ」
　むむむ、とブーカはうなった。
　三人は教会（大主教教会）でジープを降りて中に入った。古めかしい教会は小さく簡素ながらも清楚とした美しさのある建物だった。壁のフラスコ画はとてもやさしい雰囲気を醸しだしていて三人はしばし足をとめて見入った。グランヒッコリやナガイは祈らずに先に行ってしまったが、ブーカは聖人のミイラに祈りを捧げた。
　建物から出てきたブーカは待っていた二人に言った。
「すてきな教会ね」
　ブーカはとても気に入ったようだった。
「次はどこ？」
「革命広場なんていかがでしょう」
　グランヒッコリは無駄だと思ったが訊ねてみた。
「革命って、何の革命ですかね？」
「さぁ、なんのでしょうね？」
　グランヒッコリはにやりと笑い、後ろの席ではブーカが笑いをかみ殺していた。ナガイは生真面目にハンドルを握って前を見つめていた。
　市内の名所をめぐり、やがてジープは国民の館と呼ばれる大きな城を回りこんで統一大通りとよばれる広い通りにたどり着いた。
　統一大通りは広い道の真ん中に噴水が並び東欧のシャンゼリゼと呼ばれる美しい通りだ。通りの両側は高級マンションが並びその一階は店舗となっていた。ブティックや宝石店、画廊、カフェ、レストラン等があった。
　通りにはジオンの軍服も目立った。歩兵の服を来た兵士達が五、六人で連れ立って歩いていた。彼等もグランヒッコリ達のように束の間の休みなのだろう。軍服連中の中には憲兵隊の姿もあった。彼らは鋭い視線をあちこちに配りながらゆっくりとジープを走らせていた。
　やがて路上に椅子やテーブルをならべている一軒のカフェテラスの前にナガイはジープを止めた。
「のどが乾きませんか。このカフェで少し休みましょう」
　とカフェテラスを指した。二人は強くうなずいて、ジープを降りた。テーブルにつくと、やって来たウェイターの親父にめいめいお茶や菓子を頼んだ。
　ウェイターは無愛想に注文を聞くと黙ったまま店の奥へ消えて行った。
「ウェイターの態度だけど、愛想がぜんぜん無いのね」
　とブーカが言うと
「我々に対して好意を持っている地球人は少ないですよ」
　と悲しそうにナガイは言った。
　無愛想にもかかわらず注文したコーヒーとお菓子はすぐに運ばれて来た。
　シンプルなカップに入ったトルコ風コーヒーを一口すすったグランヒッコリは心底うまい！と思った。
　ブーカは菓子を一口ほおばるとザクの降下訓練のようなジェットコースター感覚を感じた。それほどまでに菓子は甘い、めちゃくちゃ甘い。でもおいしい。泣いているような笑っているような表情で菓子を食べるブーカをナガイは不思議そうに眺めた。
　雲が晴れてきて午後の太陽がのんびりと顔をだした。やわらかく暖かい光が大通りに陰影をつける。かげろうのように人々が固まって歩いて行く。午後のお茶の時間が少しづつ過ぎて行く。
　菓子を前にブーカが教会の印象を一生懸命話し、グランヒッコリとナガイがうなずいていると、通りを爆走して来る一台のモーターサイクルがあった。
　ナガイは、あれっ、といいたげな表情でモーターサイクルを見て、手を振った。モーターサイクルは派手にシフトダウンして減速し、三人の手前で急制動して止まった。アイドリングでぶるぶる震える大きな単気筒エンジンにスポークホイールのモーターサイクルにはジオン公国軍の軍服を着た小柄で華奢な男が乗っていた。男がモーターサイクルのメインスイッチをひねると急に静かになった。
　話すのを中断して黙っていたブーカが華奢な男を見て
「どなた」
　と言うと、ナガイは
「彼が、ハートゥ上等兵ですよ」
と応えた。
　歩兵用のヘルメットにゴーグルをかけた男はモーターサイクルにまたがったまま、こちらをじっと見ていた。
　ナガイは椅子を立って、ハートゥに近づいた。
「ハートゥ、こちらが今日から我々の仲間になる方々だ。紹介するよ」
　ハートゥは黙ってモーターサイクルから降りると、ゴーグルを引き上げてヘルメットの上にかけた。ナガイをそのままに、ハートゥは靴を鳴らしてテーブルに近づき黙ったまま気まずそうに立った。グランヒッコリとブーカは黙ったままハートゥを見た。
　ハートゥは少年に見えた。色白の童顔でゴーグルの縁にそって埃のあとがついていてそれがいっそうハートゥを幼く見せていた。
　こんな若い奴までモビルスーツのパイロットなのか。グランヒッコリは表情には出さなかったが驚いていた。
「ハートゥ、こちらがグランヒッコリ少尉だ」
「よろしく、ハートゥ」
　ハートゥは黙って手を差し出した。グランヒッコリはその手を握りながら訊ねた。
「若くみえるな。いくつだ」
「・・・十八」
「ブーカと一つ違いか」
「で、こちらがブーカ軍曹だ」
　ブーカはテーブルを回りこんでハートゥのそばに来た。
「わたしがブーカ・ラクハンよ。ブーカと呼んでね、ハートゥ」
　ハートゥは真っ赤になって黙ったままブーカと握手をした。
「ハートゥ、どこへ行ってたんだ」
　ナガイがたずねるとハートゥは「街の外」とつぶやくように言った。
「街の外はだめだと大尉が言っていたじゃないか」
　ナガイは言ったが、ハートゥはそっぽを向いた。ブーカがナガイに聞き返した。
「街の外はだめ？」
「ゲリラがでるんです。小人数でいると襲われますから」
「物騒ね」
　ハートゥは黙ったまま立っていた。
　ブーカは「この子に街の案内をさせるつもりだったのかしら？」といぶかしく思っていた。
「ハートゥ、君も一緒にお茶はどうだい？」
　グランヒッコリの誘いにハートゥは首を横に振った。そして言った。
「いってもいいですか？」
「１７００（午後五時）までには宿舎へ戻れよ」
　ナガイの言葉にうなずいてハートゥはゴーグルをかけるとモーターサイクルにまたがった。そしてキック一発でエンジンを再始動させると、右手をちょっとあげて爆音高く走り去った。
　走り去るハートゥを見送りながらナガイは言った。
「三ヶ月前にここに来てから、彼はバイクに熱中してまして。コロニーにはあんなものないですからね」
「そんなに面白いものなのかな」
「おもしろいけど、モビルスーツの方がずっと面白いわ」
　と、ブーカがめちゃくちゃな事を言った。

　お茶の後にブーカは自分のザクを見たいと言い出したのでモビルスーツの整備ハンガーへ行くことになった。
　基地へ向かう道すがら
「どうです、ブカレストっていい街でしょう」
　ナガイは運転席から振り返って言った。ブーカは真顔で言った。
「あなたガイドに向いてないわよ」
「そ、そうですか」
　ナガイは悲しそうな顔をした。

　整備ハンガーは飛行場の敷地内に合った。基地の入り口で厳重なチェックを受けて敷地に入った。歩哨の姿はいくつも見え、パトロールの兵士達が隊列を組んで移動して行く。基地は臨戦体勢だった。昼間ののんびりとした市内観光の雰囲気は特別だったのだ、とグランヒッコリは思った。ナガイの顔つきも厳しくなっていた。
　モビルスーツ整備ハンガーは地下に設けられていた。モビルスーツを数機まとめて乗せられるような巨大なエレベーターを使って地下へもぐると広い整備ハンガーがあった。
　整備ハンガーの両側の壁に合わせて二十機ほどのモビルスーツが並んで立っていた。そのうちの数機に整備兵が群がるように整備していた。
　並んだモビルスーツの中の手前の二機はほかのモビルスーツと異なる形をしていた。肩の所に中隊長マークがついていた。
「あの新型のザクは、バルザップ大尉のかな？」
　グランヒッコリがたずねると、ナガイは悲しそうに答えた。
「いや、あれはザクではなくてMS-07Bグフです。Ａ中隊のですよ。われわれＤ中隊にはザクしかないです」
「わたし達のはどこにあるのかしら？」とブーカ。
「一番奥の三機がそうです。残りは中隊の待機ハンガーですよ」
　ナガイはハンガーの真ん中をすたすたと歩いていった。グランヒッコリとブーカもついてゆく。ブーカの銀髪と容姿は目立つのか、両側で作業していた整備兵達は手を休めて颯爽と歩くブーカを眺めた。
　ハンガーの奥には人影がなかった。こころなしか照明も暗い。
　グランヒッコリはやな予感がした。前回の艦隊勤務からオミソ扱いされているような気がする。もしかして今回配属された部隊も正規の部隊ではないのでは？
　表情を曇らせているグランヒッコリに比べブーカは陽気だった。自分のモビルスーツで戦えるだけでうれしくてしかたがない。
「私の機体はどれ？」
　ナガイは黙って指を指した所には、塗装が済んだばかりの新品のMS-06J陸戦用ザクがあった。モノアイの窓の後ろに白縁の赤文字でＤ２３という識別コードが塗られていた。シールドには斧を意匠した中隊のシンボルマークが描かれていた。
「かっこいい」
　目をうるうるさせて見上げるブーカを不安げにながめるナガイ。その肩をグランヒッコリは軽くたたいた。
「彼女は心配ないよ」
　ナガイはコクピットへ登るブーカを見送りながら
「書類で知ってますけどね・・・」
　と言った。
「で、俺の乗機はこれかな？」
　グランヒッコリはＤ２２を指さした。ナガイはうなずいた。
「新しい機体でよかった。前回は解体寸前のぽんこつだったからなぁ」
「ははは。でもそれで連邦のモビルスーツと互角に戦ったのだからすごいですよ」
「いや、敵がなれていないようだったから」
　グランヒッコリは頭をかいた。
「わはははは。ザクだーザクだー、わたしのザクだー」
　頭上から変な唄が聞こえてきた。ブーカがコクピットで浮かれているようだ。ナガイが不安そうな顔になってザクを見上げ、グランヒッコリは苦笑した。
　その時、
「うるせえぞ。騒ぐなら外でやれよな！」
　ブーカの乗ったザクのとなりのザクのコクピットから怒鳴り声がした。
　グランヒッコリとナガイは声の方を見た。ブーカもコクピットから体を乗りだして隣のザクを見た。
　そこには整備服を着た背の高い青年がコクピットから半分からだを乗りだしていた。顔をしかめてあたりを見回している彼がラズィ軍曹だった。彼は非番を返上して工場から戻って来た自分のモビルスーツを整備していたのだ。
　青年は下を見てナガイの姿に気付いた。
「ナガイ少尉、騒ぎに来たんですか？」
　ナガイは見上げていった。
「ラズィ、邪魔してすまない。今朝話した新しい仲間を連れてきたんだ。紹介したいからできれば降りてきてくれないかな」
「騒ぐことないでしょうに。了解、今降りますよ」
　ラズィと呼ばれた青年はコクピットから身体を出した。ブーカはとなりのザクのコクピットから見を乗り出すと声をかけた。
「あなたがラズィね。わたしはブーカ・ラクハン軍曹よ。よろしく」
　ラズィはブーカを見て、一瞬ぽかんとした。つづいて顔が赤くなった。
「あ、あ、あんたか、今でたらめな唄を歌ってたのは」
「そう。自分のザクがあるなんて初めてだから、わたしうれしくって」
「これで戦争するんだぜ、わかってんのかよ」
　赤い顔でぶっきらぼうに言うとラズィは昇降機のスイッチを押して降りていった。
「そんなに怒ることないのにね」
　ブーカはつぶやいた。

　ブーカが昇降機からおりてグランヒッコリの隣に並ぶとナガイは二人をラズィに紹介した。
「こちらが、グラーグ少尉だ。こちらはラクハン軍曹」
　ふーん、とでも言いたげな顔でラズィはナガイの言葉を聞いていた。
　ナガイはラズィを二人に紹介した。
「彼がラズィ軍曹だ。我が中隊のエースだよ」
「よろしく、ラズィ軍曹」
「よろしくおねがいします、少尉」
　ラズィは敬礼した。
「わたしはブーカ・ラクハン。ブーカと呼んで」
「あんた軍曹か。意外だぜ」
　ラズィはブーカに対しては遠慮の無い言葉でいった。そんな事にはなれているブーカだった。それより気になるのはエースと呼ばれるラズィの腕だった。
「エースなんてすごいじゃない。戦艦何隻沈めたの？」
　ブーカは単純に聞いた。
「陸に戦艦があるわけないだろう。戦車だよ」
　ちょっと赤くなってラズィが答えた。
「あ、戦車ね」
　ブーカは悪気は全然なかったが、その反応にラズィはかちんときた。
「戦車で悪かったな。馬鹿にしていいぜ」
「しないわよ」
「あんたは、どうなんだ？」
「どうって・・・ザクで出撃したことないから」
「へーん」
「へーん？信じられない。なにその”へーん”って！」
　初対面で口喧嘩をはじめた二人に、相性がわるいのかしらんとグランヒッコリは思った。ナガイはおろおろしていた。ナガイに収拾を期待しても無駄なようだった。
「二人ともやめないか。子供じゃないんだから」
「グラン、この子が勝手にいじけているのよ」
「いじけてない。それに俺が年上だぜ。この子なんて子供に言われたくないな」
「誰が子供よ！」
「やめないか、軍曹。ん、二人とも軍曹か。なんだろうなー」
　二人はにらみあった。ブーカはべーっと舌を出した。
「やめろよ、ブーカ・・・。ところでラズィ軍曹は夕飯は済ませたか？」
「ラズィでいいですよ、グラーグ少尉・・・。夕飯はまだであります」
「じゃ、一緒にどうだろう。俺もブーカもうまい飯屋知らないんだ」
「ザクの整備が終ってないので・・・・申し訳ありません」
「そうか・・・」
　グランヒッコリは残念そうにうなずいた。ブーカはそっぽを向いていた。
　ナガイはほっとした顔になると、ラズィになるべく早く整備を切り上げて休息をとるように勧めた。
　ラズィは昇降機でパイロット席へ戻って行った。三人はラズィを残して整備ハンガーを後にした。

　☆

　連邦軍の大攻勢の予想を裏づけるデータがユーラシア軍団には集まりつつあった。キャルフォルニア・ベースやアフリカ軍団への圧力は弱まり、連邦軍の戦力はユーラシア大陸に集結しつつあった。
　ジオン軍キエフ基地を最終防御拠点として見た場合、連邦軍の侵攻路は大きく三つが考えられた。
　一つはヨーロッパ方面。一つは北海方面。一つはカスピ海方面。
　作戦本部に集まりつつある情報を集約すると、ヨーロッパ方面が連邦軍主力らしい。また準主力は北海方面。カスピ海沿いに例の「木馬」が北上している。
　カスピ海から迫ってくる木馬は陽動であるとジオン軍ユーラシア軍団作戦本部は看破していた。だが無視する訳にもゆかずマ・クベ大佐はドズル中将麾下のランバ・ラルをつかって木馬を撃破しようとしたが未だ果たせていない。
　北海からの圧力は日に日に強くなってきていた。これもまた撹乱のための運動であると作戦本部では推測していた。この敵の運動に対しオデッサの戦力を北に向けるとヨーロッパ方面の連邦軍に動くきっかけを与えることになる。
　作戦本部の評価では彼我の戦力は隔絶しており静かに守っていてもいつかは防衛ラインを破られると推測していた。ならば敵の撹乱にみすみすのるより、また、防御を堅くして専守するよりむしろ敵の前進拠点を叩いたほうが良い、と作戦本部は判断した。
　そこで作戦本部はルーマニア方面の連邦軍の前線基地を叩くことにより、連邦軍の侵攻を遅らせる作戦を企画した。
　作戦本部が作戦方針をルーマニア軍に伝えたのはグランヒッコリ達が宇宙から降りて来た日であった。ルーマニア軍は戦力に余裕のない苦しい状況下で作戦を立案した。
　作戦は次のようなものだった。攻撃部隊はトランシルバニア・アルプスを越えてクラヨヴァまで進出し連邦軍の前線基地を叩く。これにより連邦ヨーロッパ方面軍の側面を刺激し、ドニエプル方面への圧力を弱める。
　攻撃部隊はモビルスーツと航空部隊からなり、制圧後、すみやかに歩兵部隊が進出してこれを確保する。この作戦のためにルーマニア軍は軍司令部の予備軍から攻撃部隊を抽出しなければならなかった。作戦後のルーマニア軍が担当する防衛ラインは補充する部隊はほとんど無い状態となった。これを危ぶむ将校もあったが作戦本部へ作戦計画書は送られた。
　作戦本部の承認をえて正式に作戦が発令された。だれともなくこの作戦は「秋の嵐」と呼ばれた。

to be continue...