ブカレスト防衛戦

　ズームアップされた視界の中には閑静な農村が広がっていた。ゆるやかな丘に畑が続き、それが幾重にも幾重にも重なり、ときおり現われる小さな林や集落が郊外の農村の風景にアクセントを与えていた。
　静かな農村に人影はなかった。柔らかな秋の日差しに落ち葉が舞う。
　視界の中に幾筋かの煙がたなびいていた。撃墜された友軍の戦闘機の残骸だった。
「そろそろだな」
　地球連邦軍第四三師団第五○八混成戦闘隊の指揮官であるアレクサンダ大尉は電子双眼鏡から眼を放すと腕時計を見た。彼が砲撃要求をしてから数分は過ぎた。
　最初に彼は気配を感じた。耳では聞こえないが何かの音が辺りに満ちた。それは次第に可聴域の音へと変化し、まがまがしい獣の叫び声のような風切り音が耳を圧した。
　アレクサンダ大尉の見ている大地に空から数百、数千の火の玉が降り注いだ。爆発。炎と爆煙の上に、さらに火の玉が降り注ぎ、爆発が爆発を圧し、炎と衝撃波のハンマーが大地を激しく叩いた。
　アレクサンダ大尉まで熱風はとどいた。彼は腕を上げて眼をおおった。
　短く激しい時間が過ぎて、火の玉の雨がやみ、爆風がおさまり、巻上げられた砂塵で辺りが白くかすんだ。
　閑静な農村は、焼かれた大地と燃える木々とガレキへと姿を変えていた。熱い風が砂塵を巻上げた。対地ミサイルによる制圧射撃は終了した。敵に反撃の隙をあたえず進出しなければならない。
「よし、前進！」
　アレクサンダ大尉は前進を指示した。がくり、と揺れて彼の乗った装甲指揮車が進み始めた。彼の戦車部隊が前進を開始した。混成戦闘部隊である五○八混成戦闘隊の重装歩兵の群れが、ばらばらと装甲車の後ろに続いた。
　生きる影のない灼熱地獄と化した大地を連邦軍の兵士たちはゆっくりと進んだ。灼熱地獄だが自分たちに攻撃をかけてくる敵はいない。敵が反撃するまでに前へ進め。
　車内にもどったアレクサンダ大尉は、配下の車両の状況を監視しつつ自分の車両も前進させた。静かだった。制圧射撃からジオンのやつらは回復できないのか？
　と、小さな火の玉が薄い煙の尾を引いて、前方の部隊に突っ込んだ。対戦車ミサイル、爆発。戦車が炎上し前進が止まった。
　重装歩兵が素早く散った。
「ガスのチームは発射地点を射撃しろ。シンプソンのチームは右へ展開しろ」
　アレクサンダ大尉はすばやく応戦を指示した。
　次々と対戦車ミサイルが飛んできた。アレクサンダ大尉の乗機が急に動いた。ミサイルを避けたらしい。
　車外モニタの中では応戦する戦車の主砲がさかんに火を吹いていた。低空を両軍の戦闘爆撃機がかすめた。重装歩兵たちが射撃を繰り返しながらジオン軍の陣地へ近づいてゆく。
　車内からジオン軍陣地を見つめつつアレクサンダ大尉は思った。先ほどの制圧射撃はこれからの戦闘の前座にすぎない。だいたい、ジオンのやつらがあの程度の攻撃でへこたれる筈がない。へこたれるくらいなら、わざわざ地球へ降りてくる筈がないからな。
　大尉の見ている前で一両の戦車が炎に包まれた。シンプソンの車両だ。早くもチームリーダーを失うとは。アレクサンダ大尉は唇を噛んだ。
「バンガード小尉、君にシンプソンのチームを任せる。指揮をとれ」
「了解」
　代わってバンガード小尉の戦車が前へ出た。
「こちらアルファ・チーム、対戦車ミサイルがうるさい、爆撃要求を頼む」
「了解」
　アレクサンダ大尉は爆撃支援要求を出した。
　ふと、スクリーンの部隊状況表示を見ると損害は部隊の一割を越えていた。アレクサンダ大尉は小声で畜生、とつぶやいた。
　戦闘はまだ始まったばかりだった。


☆

　人類の大半が宇宙で暮らすようになった時代でも地球は人類の生活に欠かせない。
　たとえば地球のごく限られた地方に産出するある種の鉱物資源は人類の生活に欠かせないものだ。
　ジオン公国軍はキエフ周辺に産する特殊鉱物資源の確保を目的としてユーラシア軍団を展開した。その配置はキエフ近郊の特殊鉱山基地を中心として北はミンスク、西はブレスト、南は黒海まで占領下においていた。特殊鉱物資源は採掘され精練された後にオデッサを主とした各地の宇宙港から宇宙へ向けて打ち出された。
　連邦軍によるオデッサ作戦はジオン軍の特殊鉱山基地の壊滅を目的とした一大反撃作戦である。作戦規模はユーラシア大陸の西部をすべてカバーするもので陸上戦闘では史上最大規模の作戦だろう。
　オデッサ作戦は多方面同時侵攻作戦だ。西ユーラシア大陸各所から大戦力を進撃させジオン軍ユーラシア大陸軍を一気に駆逐する。
　主力戦力はベルリンから東へ進撃するベルリン方面軍である。他にもバルト海沿岸から進撃するバルト海方面軍、ベオグラードからドナウ河沿いにオデッサ宇宙港を目指すベオグラード方面軍、エーゲ海から黒海封鎖を目指すギリシャ方面軍、黒海東岸を北上するペルシア方面軍、そしてカスピ海を廻り込んでジオン軍の背後からオデッサを目指すホワイトベースである。
　主目的はキエフにある特殊鉱山基地であるが、ブダペスト方面軍とペルシア方面軍はジオン軍宇宙港の占領を目的としている。
　連邦軍はこの一戦にかけていた。地球上の全陸上戦力の三分の一を投入していた。特殊鉱物資源を押さえれば、ジオン宇宙軍は戦争を継続できなくなる。流れが和平へ向かうかもしれない。宇宙空間での決戦は避けたい、という思いがレビル将軍にはあった。

　オデッサ作戦に対しマ・クベ大佐をはじめとしたユーラシア軍団作戦本部はキエフ近くで連邦軍の主力部隊を迎え撃つつもりだった。ユーラシア軍団の生命線が特殊鉱山基地であるなら、ジオンの支配地域は基地を守るための防波堤だった。ということは特殊鉱山基地と宇宙港を守ればよいのだ。
　陸上戦力の三分の一を投入した連邦軍に対しジオン軍はきわめて不利な戦力比で戦っていた。だがマ・クベ大佐は自軍に自信を持っていた。自信の源は新型重モビルスーツMS-09ドムである。
　ドムはザクやグフにくらべ機動力、攻撃力、防御力ともに遥かに勝っていた。連邦軍の通常戦力がいくら集まってもキエフ中央軍のモビルスーツ部隊を容易に撃破できない筈だ。
　ただ、マ・クベ大佐が気になるのは木馬の存在だった。
　これまでの戦果を考えると木馬は連邦軍の特殊部隊だった。シャアの襲撃をかわし、ガルマ・ザビやランバ・ラルなどの名だたる将星を撃破している。おそるべき存在だ。
　モビルスーツで特殊鉱山基地を固めても、木馬によって戦況をひっくり返されるかもしれない。
　木馬を恐れたマ・クベ大佐はオデッサ作戦直前に宇宙から黒い三連星を呼びよせてドムを三機与えた。マ・クベ大佐いわく一個師団に相当する戦闘力である。マ・クベとしてはそれ以上の戦力を割けなかったのだ。 　そのようなマ・クベ大佐の方針により、ジオン軍前線部隊にとってオデッサ作戦は辛いものとなった。
　ルーマニア軍はオデッサ作戦の直前にクラヨヴァ基地襲撃作戦を成功させた。制圧した基地を強化して連邦軍の作戦に備えた。
　その甲斐あってルーマニア方面における連邦軍の侵攻は約半日の遅れとなり、その間に部隊の整理を行えたのである。
　だが、危機は変わらない。

☆

　明るい照明の下、シベルク中佐が長身を屈ませて地図を覗き込んでいた。ややあって、彼は口を開いた。
「状況はどうか」
「ブラショグ基地が爆撃を受けています。防空部隊が迎撃中」
「うむ」
「ピテシュティの前線基地が攻撃を受けています」
「ピテシュティだと？クラヨヴァが陥ちた報告は聞いてないぞ」
「クラヨヴァは交戦中です。迂回した連邦軍部隊がピテシュティに達しました」
「そうか・・・」
　シベルク中佐はあごをなでながら地図を眺めた。
　軽陸戦挺ギャロップ「ＫＲ７」内ジオン軍ルーマニア方面軍司令部。クラヨヴァ降下から連続して指揮を続けている司令部には疲れが見えていた。黒い軍服に身を包んだシベルク中佐の鋭い目の下にも淡い黒い影ができた。周囲の参謀たちもしわがついた軍服で疲れを隠せなかったが、言葉も態度も平素と変わらない。
　シベルク中佐は地図を眺めた。オデッサ作戦によって連邦軍は怒濤の勢いでシベルク中佐の防衛線を越えている。これまでの情報からルーマニア方面のジオン軍は防御拠点で動けなくなっている。
「戦線全域にわたって連邦軍が侵攻している。彼等はこちらの防御拠点を」
　シベルク中佐は自軍の基地をいくつか指差した。
「叩き、陥ちなかったら兵力を貼りつけて迂回する・・・目的は宇宙港か鉱山基地か」
「おそらくオデッサでしょう」
「宇宙港が破壊されれば我がユーラシア軍団は立ち枯れるか。そのとおりだ」
　シベルク中佐は机の上に広げられた地図を眺めた。書き込まれた連邦軍のシンボルに比べ自軍のシンボルはあまりに少なかった。
　参謀のひとりが机の上にかがみこんでつぶやいた。
「連邦め、進むのが早いですな」
「やつらは航空戦力が十分にあるからな・・・」
　シベルク中佐は身体を起こし、黙った。ゆっくりと左手をあごに当て、髭が伸びはじめのざらざらした顎をなでながらシベルク中佐は地図を見つめた。
　シベルク中佐の反対側の壁では、通信担当の兵士が通信器から打ち出された文書をまとめ、小柄な参謀に手渡した。参謀は手にした報告書をめくって声を上げた。
「あっ」
「どうした？」
「ランバ・ラル大尉の部隊が壊滅・・・大尉は戦死しました」
　シベルク中佐の手が止まった。参謀たちも一瞬動きを止め、司令部を静寂が支配した。
「木馬は、いぜん進撃を続けています。木馬対策は作戦本部が継続して実施するそうです」
「・・・そうか」
　シベルク中佐は低い声でこたえ、参謀へ顔を向けた。参謀は報告書を目で追った。
「中佐、ランバ・ラルの残存部隊から請願がでています」
「なんだ？」
「兵力を貸して欲しいと」
「責任者は？」
「タチ中尉とクラウレ・ハモン・・・このクラウレという女性は軍属ではありません？！」
　参謀は報告書から目を離してシベルク中佐を見た。シベルク中佐はうなずいた。
「その方なら知っている・・・なぜ我々に話が来たのだ。本部ではなんと言ったか？」
「はぁ、それがこちらで処理せよと」
「ふむ。ならばオデッサの東部防衛隊からまわしてやれ」
「よろしいのですか」
「うむ」
　シベルク中佐はうなずいた。そして遠い目をした。
「そうか、ラルが死んだか・・・頼りになる者から死んでゆくのだな」
　参謀たちは黙った。だれも一言も口をきかず、司令室の中は静かだった。
　やがて、シベルク中佐は立ち上がった。参謀たちの顔を見回して言った。
「我々は守っても無駄だ」
　その発言に参謀たちはとまどった。
「我々の兵器は拠点防御には向いていない。モビルスーツは防御兵種ではないからな」
　中佐の目が鈍く光った。
「拠点防御など我々がすべきことではない。私の戦い方はそんなものではない」
　シベルク中佐は長身を真直ぐにして言った。
「我々は」
　彼は胸まで両手をあげると、拳を鳴らした。
「我々の戦をする」

☆

　晴れていたが風は強かった。冷たい風に砂塵が混じっていて、露出した肌に当たると痛かった。
　冬を控えたユーラシアの大地は地球生まれにもコロニー生まれにも厳しかった。
　ブカレストのＤ中隊待機ハンガーは屋根こそあれ、寒さでは野外とたいして変わらない。
　ザクの整備を続けていたラズィは、ふと手を止めて地平線の空を見つめた。青い空に雲が流れていた。しばらくぼんやりと空を見つめていたラズィは隣で工具を握っているハートゥに声をかけた。
「やつら何時くるんだろう？」
　顔をあげたハートゥはしばらくラズィを見つめ、沈黙のまま首を振った。
「そうだな、わからないよな」
　ラズィは肩の凝りをほぐすように二三度首を振ると、ザクの整備ハッチの中に顔を突っ込んだ。奴らが何時来るかわからないが、それまでには自分のザクの脚を完調にしておこう。
　ブーカがやってきて二人の作業を覗き込んだ。
「手伝う？」
　ハートゥはちらとブーカの顔を見て視線が合うと慌てて視線を戻した。ラズィが顔をあげてブーカの問に答えた。
「すぐに終わるからいいよ。ブーカは休めよ」
　言い終えるとともに、ラズィはハッチの中に頭を突っ込んだ。
　クラヨヴァ襲撃から丸一日が過ぎていた。しかし、Ｄ中隊は仮眠を取っただけだ。バルザップなどはほとんど寝てなかった。バルザップを始めとした士官たちは、作戦本部へでていた。
　ブーカは整備兵と共にザクの整備を済ませて時間が空いていた。
「ええ。そろそろ休むけど。何かできることあったらと思って」
「グラーグ少尉は？」
　手を休めずにラズィは尋ねた。
「中隊長と一緒よ」
「とすると、士官はすべて連れてかれたってことか」
　ハッチの中でラズィが言った。ブーカはハッチの縁によりかかった。
「うん・・・・・噂聞いた？」
「何の？」
「ブレストを抜かれたって。総司令部は戦線を縮めて立て直しているって」
　ラズィは手を止めた。
「デマかもよ」
　ラズィは顔をあげた。ハートゥも顔をあげて二人を不安そうに見つめた。
「負けてるのかしら」
「え？」
　ブーカは首を傾げながら聞いてきたことを話した。
「で、こっちではクラウヨヴァが交戦中らしいけど…」
「じゃあ、こっちはまだ大丈夫じゃないか」
「それにしては、ねぇ」
「それにしては、はこっちの台詞だよ。なんでそんなにいろいろと知ってるんだよ」
「みんなのために情報を集めてるのよ」
「こっちは整備してるってのに、おしゃべりかよ」
「ラズィは凝るから整備が終らないのよ」
「・・・・・」
　ラズィは口を開きかけて閉じた。昨日の戦いからＤ中隊のエースはブーカになったのだ。だいたいモビルスーツでの初陣で、戦車八両に装甲車四両を撃破し、おまけにビックトレーにヒートホークを打ち込んだのだ。人間のなすことじゃない。赤い彗星よりすごいんじゃないか、とラズィは思う。
　ブーカは黙ってしまったラズィが口を開くのを待った。黙々と工具を使うラズィにブーカは話題を変えた。
「そうそう、新型のモビルスーツ、見たわよ」
「新型？グフかい？」
　ラズィが顔をあげた。ハートゥも顔だけあげた。
「いいえ、MS-09ドムよ」
「なんだ、それは？」
　ラズィとハートゥは手を休めてブーカの顔をみつめた。
「たくましいモビルスーツ。装甲が厚そうでパワーがありそうだったわ」
「また新型かよ。どうせこっちには廻ってきやしない。新型開発するヒマがあったらグフでもいいからこっちによこせばいいのに」
　ラズィの愚痴にブーカは微笑んだ。
「わたしはドムやグフよりはザクの方がいいわ」
「なんでだよ、新型のほうが性能がいいぞ」
「だって、かっこわるいんだもの」
「かっこわるい・・・そりゃあザクはスマートだけどなぁ」
「でしょ、でしょ、でしょう。グフなんて指先が四連装機関砲だし、ドムはちょっとはかっこいいけどずんぐりしてるし、ザクとは比べられないわ」
「・・・ザクが好きなんだ。それだけが理由だろ」
「あはは。わかる？」
「ブーカらしいや」
　ラズィが笑い声をあげ、ハートゥも珍しく笑った。
「ハートゥ、休もう」
　ラズィは整備ハッチを閉じると工具を置いた。
「どこの部隊がドムをもらったんだい？」
　ラズィの問いにブーカはすこし眉をしかめた。
「黒い三連星よ」
「えっ！こんどは黒い三連星かよ」
　ラズィは目を丸くしてブーカを見つめた。急に眉をしかめ、そしてつぶやいた。
「ってことは」
　ブーカはうなずき三人は顔を見合わせた。ランバ・ラルは敗れたのだ。
「白いモビルスーツか・・・」
　ラズィのつぶやきは沈んでいた。木馬は中央アジア方面という噂なのでオデッサ西方を守るＤ中隊が当たるはずはない。しかし赤い彗星に続いてランバ・ラルを破るようなモビルスーツを敵が持っているというのは事実なのだ。しかもオデッサを目指している。
「出て来て欲しくないな、連邦のモビルスーツ」
　沈んだ表情のラズィのつぶやきに
「あたしは戦ってみたいけど、今日はパス」
と、ブーカは応えた。ラズィは顔をしかめた。
「俺は、会いたくないねぇ、ずっと」
「…黒い三連星は白いモビルスーツに勝てるかしら？」
　黙っていたハートゥが口を開いた。
「今度は三機で、新型のモビルスーツですよね。勝つでしょう」
「私もそう思う。今度こそ沈むわよ。あぁ、戦えなくて残念だわ、白いモビルスーツ」
　ブーカの心底残念そうな声にラズィとハートゥは顔を見合わせた。

☆

　アレクサンダ大尉の戦闘は続いていた。一つの陣地を抜けると次の陣地が現われるのだ。その度に激しい戦闘になった。
　ジオンの兵はしぶとかった。連邦の兵卒に比べて強兵だ。だいたい、この戦力差を考えれば当然負け戦だろうに戦いつづける理由がわからない、とアレクサンダ大尉は思った。なぜ素直に降参しないのか。
　今、この瞬間も頑強に抵抗を続ける陣地を前にアレクサンダ大尉の部隊は前進を停止していた。
　アレクサンダ大尉はマイクをとった。
「ガス、状況を知らせよ」
　ガスはアルファ・チームのリーダーだ。主力戦車八両を率いるベテランだ。正面右のジオン軍陣地を攻略しようとしている
「敵の抵抗は激しいですが、徐々に火力が弱まりつつあります。もうしばらくで陥とせます」
　ヘッドホンから聞こえるガスの応えは他のチームからの報告と同様だった。だがアレクサンダ大尉の心配は別にあった。
「敵のモビルスーツを見たか？」
　しばらく考えこむ気配の後にガスがこたえた。
「そういえば、見てないです。探させますか？」
「いや、いい」
　ガスとの通信を終え、アレクサンダ大尉は考えこんだ。なぜ、この戦いにモビルスーツが出てこないのだろう。対地制圧砲撃がモビルスーツを行動不能にしたのだろうか。いや、ジオンの奴らがそんな隙を見せる訳がない。
　アレクサンダ大尉は不安になった。いやな空気だ。
　もしかすると師団司令部は情報を得ているかもしれない、とアレクサンダ大尉は回線をつないだ。だが何も得られなかった。
　不安を抱きつつ戦うアレクサンダ大尉と同様に師団司令部もジオン軍がモビルスーツを投入してこないことを疑っていた。戦闘開始から数時間たち、師団は敵の防御陣地とがっぷり四つに組み合っていた。師団の予備部隊はわずかだった。
　ベオグラード軍の上層は、モビルスーツはキエフもしくはオデッサへ後退したという見解を取ったが、前線で戦う指揮者はそうはおもわなかった。戦いの手応えから察するに敵はなにか企んでいる。
　そしてその不安は唐突に的中した。

　軽陸戦挺ギャロップ「ＫＲ７」内、ルーマニア方面軍臨時司令部。
「連邦軍は防御陣地に釘付けだな。よし、そろそろはじめるか」
　シベルク中佐は幕僚に指示した。
「モビルスーツ部隊、出せ。わたしも出るぞ。ははっ、血が騒ぐな」
　シベルク中佐はテーブルの上のヘルメットを取り上げた。黒地のヘルメットの額に鮮やかな赤でたった一文字だけペイントされていた。東洋の文字でかかれたそれは参謀には読めず、無気味と感じた。
　シベルク中佐はヘルメットを脇に抱えた。
「作戦通りだ。撤退指示を見誤るなよ。私の識別信号が消えたら君が指揮を取り給え」
「中佐、自重してください」
「わかっている」
　シベルク中佐は部屋を出ようとした。
「中佐、」
　参謀の声にシベルク中佐は振り返った。
「なんだ？」
「その、ヘルメットですが、なんて書いてあるのですか？」
「後で説明する」
　シベルク中佐は大股に部屋から出ていった。

　ジオン軍の前線全般に発光信号弾が打ち上げられた。
　昼下がりの戦場はほんの一瞬だけ静かになった。両軍の兵士たちは空を見上げ、すぐに戦闘にもどった。しかし、指揮官は空を彩る信号を兆しと見た。たとえばアレクサンダ大尉は配下の部隊に注意を呼びかけ、コクピットのバルザップは無言でザクに電子の息吹を吹き込んだ。隠蔽用シート下の薄闇の中でザクのモノアイが赤く光る。
　バルザップは静かに言った。
「出撃だ。準備はいいか？」
　ややあって、応答があった。 「ナガイ、出撃準備よし」「グラーグ、準備よし」「ラズィ、準備よし」「ハートゥ、準備よし」「ブーカ、準備よし」
　サブスクリーンに皆の顔が映っていた。ひとりひとりの表情を確認したバルザップは力強くうなずき、言葉を続けた。
「もう一度言うが、我々は機動力を持って敵前線を突破する。敵の司令部を見つけたら叩け。敵の進撃を遅延させるのが目的だ」
「了解」
「撤退信号を見落とすな。ギャロップは待たん。いいか、信号を見落とすなよ」
「了解」
「よーし、では出撃！！」
　勢いよく叫ぶとバルザップはザクを立ち上がらせた。トレーラーから降り立ったバルザップのザクはユーラシアの大地に立った。バルザップ機に続いてＤ中隊の六機のザクが次々と地上に降り立った。
　グランヒッコリのザクに隠蔽用のシートがひっかかっていたのをブーカ機がひきはがした。
　バルザップは、全速前進を指示し、Ｄ中隊の六機のザクは一団となって連邦軍の戦線へ突入した。

「モビルスーツです、モビルスーツが出ました」
　通信機からの叫びにアレクサンダ大尉はついに来たかと思った。
「落ち着け。場所を報告しろ、迎撃の準備をする」
「Ｆ−八三地点、移動中、は、速い。」
「よーし、わかった。攻撃しろ、足を止めるんだ、時間をかせげ」
　アレクサンダ大尉はポイントを確認すると眉間にしわを寄せた。近すぎた。これでは砲撃の要求を出せない。
　師団司令部へ連絡したアレクサンダ大尉は、戦線全域にわたって敵モビルスーツが出現したことを知った。彼は冷や汗を流した。師団は何も言ってこないが、思うにこれは本格的な反撃だ。対応を間違えると自分の部隊は失われる。
　アレクサンダ大尉は指揮下の総ての部隊にモビルスーツ出現を伝え、攻撃の連続で伸びきった戦線の整理を試みた。
　兵たちの恐怖に満ちた防御運動が始まる一方、連邦軍第四三師団を含むベオグラード軍は配下の航空部隊に出撃命令を下した。連邦軍にとって対モビルスーツ戦の切り札は航空戦力だった。
　対するジオン公国軍ルーマニア軍も配下の航空部隊の集中投入をはじめていた。ブカレスト近郊の戦闘は急速に激化してゆく。

☆

　幾重にも放たれた対空ミサイルをかいくぐって連邦軍の爆撃機が突入してきた。
「左から来るぞ」
「見えな・・・いた。迎撃する」
　ブーカ機がザクマシンガンを構えた。ザクのランドセルから伸びた対空ミサイルランチャーが高圧ガスを吹きだし、数条の線が空高く伸びた。
　続いて閃光がきらめき、遅れて届いた爆発音は低く戦場に響いた。
「三機逃れた、警戒！」
というブーカの声に
「了解」
　グランヒッコリの機体がひるがえり、ザクマシンガンが鈍く連射された。その火線は突入する爆撃機の編隊をなめたが一機も落ちない。隣でブーカ機がマシンガンを構えたままバーニアを噴射した。回避運動だ。
　爆音が上空を飛びすぎ、続いてミサイルがザクのまわりで連続して炸烈した。炎と爆煙の中をグランヒッコリはゆっくりと前進した。爆煙でお互いの姿が見えない。
「被害は？」
　グランヒッコリの問いにブーカが答えた。
「ない、ない」
　グランヒッコリとブーカは互いの姿を探しながらザクを進めた。徐々に煙が晴れて赤外線センサが回復してきた。視界も利くようになった。互いの姿を認めた二人のザクはペアで前進する。離れたところにナガイとともに前進するバルザップのザクが見え、さらにその先にラズィとハートゥのザクが前進していた。
　この戦闘の目的は敵の指揮車を見つけだして破壊することだ。そのためにＤ中隊はいつもの三機編成ではなく二機編成で戦っていた。
　グランヒッコリはザクを進めた。と、嫌というほど聞きなれた警告音がヘルメットに響いた。左側面の赤外センサーが七つの機影を捉えていた。
「左から爆撃機が来るぞ」
　グランヒッコリはザクを廻した。先を行くブーカが振り向くのが見えた。対空ミサイルを撃とうというのだろうか。だがタイミングが遅すぎた。
「ブーカ、遅すぎる、回避しろ」
　だがブーカはグランヒッコリの制止など聞いていなかった。
「なめるな！」
　ブーカの叫び声とブーカのザクがジャンプしたのは同時だった。その直後に戦闘爆撃機の爆音が頭上を飛び過ぎる。ザクはジャンプと同時に右肩を回転させてシールドを振り出した。突然視界に出てきたモビルスーツとシールドに戦闘爆撃機は編隊を乱し、一機が地面に突っ込んだ。
「ははははっ。ザクをなめるな」
　爆弾の炸烈音と爆撃機の爆発音のなかでブーカは笑った。
「無茶するな、ブーカ」
「ちがう、出来ることしかやってないよ」
　グランヒッコリはそれ以上言うことができなかった。出来ることしかやってない、か。俺から見ればめちゃくちゃなんだが、違うんだ。グランヒッコリはブーカの戦闘を目で追った。
　グランヒッコリ達の右側、八〇〇メートルにラズィとハートゥが展開していた。さらに右側にバルザップとナガイの二人がザクを進ませる。目標はラズィ達の正面の丘だ。
　ラズィ達は並んでザクを急がせつつ、目標の丘の麓までせまった。ザクを止めるような力を持った兵器は存在しない。戦車は後退してしまって静かだし、逃げ遅れた歩兵が散って隠れる。歩兵が手にするオートライフルは脅威にならない。
「敵がいない。ラッキー」
　ラズィは丘の手前でザクを止め、主スクリーンに映る丘の映像を眺めた。
「静かすぎる。しかし、時間がない、か。ハートゥ。そこで待機。俺が先に行く」
　サブスクリーンに映るハートゥのザクの頭部がわずかにかたむいた。ハートゥの了解の合図だった。
「よし」
　ラズィは丘を見つめ、ザクを進ませた。ラズィは安全を確保しつつ進んでいるつもりだったが、彼の知らない歩兵が丘の頂から目だけ出してラズィ機を見つめていた。歩兵は手元の通信器にラズィ機の位置を知らせていた。レーザー測距離を使えば隠れているのがばれてしまう。歩兵は光学照準機をつかって距離を計った。そのデータは丘の影の潜んだ対戦車ミサイルを装備したチームに伝えられた。
　ラズィは一歩づつザクを進ませた。と主スクリーンのはじに白い煙をひく光の玉に気づいた。
「ミサイルだ！」
　ラズィはすかさずジャンプ、ザクは前へジャンプした。ミサイルは急激に高度をあげたが、ラズィ機へ直撃はできず、近距離で爆発した。
「あぶねぇ」
　ラズィのとっさの低いジャンプに、ザクの左脚部が斜面に引っ掛かった。転びそうになるラズィ機。ハートゥが丘の稜線すべてにまんべんなくザクマシンガンの砲弾をばらまく中、すんでのところで立て直したラズィの耳に、コクピット左下から大きな異音が響いた。サブスクリーンに機体監視コンピュータの左脚部の異常を知らせるメッセージが流れ出した。
　ラズィは警告を無視して機体に射撃体勢をとらせ、ザクマシンガンを丘の上に向けた。と、センサーが左手から被照準信号をキャッチ、警告音が鳴り響いた。同時に主スクリーンに左向きの矢印とメッセージが現われた。
「戦車か！」
　六一式戦車が三両、疾走していた。二連主砲をラズィに向けつつある。
「負けてられるかよ」
　ラズィは叫んだ。スラスタ・ペダルを踏み込み、バックダッシュ、左下から連続して異音がひびいたが無視、滑らかにザクは戦車に対して正対し、ザクマシンガンの照準に捉えた。戦車は停まらずに撃ったが、それた。ラズィはトリガーを引きザクマシンガンの一連射を加えた。曳光弾が先頭の戦車に収束した一瞬、閃光。爆発。同時にバーニアの噴射がとまり、ラズィ機は脚をたわませて着地した。
　主スクリーンの中では残った戦車が砂煙とともに急停車していた。ラズィはザクを右に移動させたかったが、左脚が動かない。停車した戦車が微妙に砲を動かし、砲口からガスが噴射された。
　衝撃とともに、ラズィはザクが後ろに倒れそうになるのを感じた。バランサーが姿勢を回復させようとしたが脚がうまくうごかない。ラズィ機はよろめいた。
「やばい。ハートゥ！　右だ！タンクだ」
「了解」
　ハートゥの震える声が応えた。
　ラズィはよろめきながらザクマシンガンの狙いをつけようとすると、センサーが鳴り響いた。サブスクリーンには丘をの頂から新手の戦車が現われたことを告げいてた。これでは戦車に袋叩きされる。
「くぅーっ」
　冷や汗とともにラズィはうなった。ザクはよろめきつづけている。
「何やってんの、ラズィ」と遥か左からブーカ。
「左脚、動いてくれよ。ハートゥ、ハートゥ、はやく！」
「ナガイ、援護だ」
　割り込むようにバルザップの声がしたが、
「こちらナガイ、援護不可能。右手から被照準信号、ミサイル。うは」
　ナガイは自分を守るので精一杯だった。バルザップは左を一望するとラズィの機体を認め、丘の戦車群を見つけるとザクマシンガンを撃った。ラズィもバランスをとるのを中断して、ザクを座らせ戦車を撃ちはじめたが、丘の稜線から砲塔だけをのぞかせ、射撃してくる戦車に有効弾を与えられない。
　ブーカは駆けつつ状況を見て取ると、ザクをジャンプさせた。後に続くグランヒッコリのザク。
「ラズィ、今ゆく。グラン、援護お願い」
「了解」
「ああああああっ！」
　絶叫するラズィの通信に被弾する衝撃音とザクマシンガンの発射音が混じりだした。ハートゥは敵の攻撃をかわしながら左手から丘の稜線をまわりこみ、背後から敵戦車を撃ち崩そうとした。同時に丘を駆けあがったブーカ機が真上からヒートホークで殴り込みをかけた。戦車はキャタピラから砂塵を巻き上げて後退した。後退する戦車を追いかけたブーカは対空機銃弾の雨の中を追い撃ちで戦車を一両撃破した。ハートゥの側面からの射撃がさらに一両を鉄屑に変えた。
　丘の頂上はＤ中隊が制した。ラズィの安堵の声が通信器から流れた。ハートゥを残してブーカのザクが丘から下った。ラズィのザクがザクマシンガンを下げて、立ち上がろうと試みはじめた。
「なにやってんよ」
「引っ掛けたらしい。くそぅ」
　ラズィのザクをグランヒッコリのザクが引っ張り上げた。左脚部の装甲が外れかかっていた。関節にひっかかって動きを妨げていた。
「取るよ」
　ブーカ機が装甲をむしりとった。
「どう？」
「動く。問題は…なさそうだ。復活！」
「運がいいわね」
　と、ナガイの切羽詰まった声が、響いた。
「右手の装甲車が。こっちも、あぶない。ミサイルが、うは」
「ハートゥです。正面新手です。八両。後退します」
　Ｄ中隊をめがけて敵が集まりつつあった。
「敵から離れるな、離れると砲撃をくらうぞ」
　バルザップの注意が通信器から響いた。

　アレクサンダ大尉の見つめるモニターは、ジオンのモビルスーツによる突入によって、いたるところで戦線が破られたことを表示していた。ガスのチームは丘の上の優位な場所からの射撃でザクの足留めに成功したが、左側面にでたレヴィンのチームによる対戦車ミサイルによる攻撃は失敗し、ダメージを与えられなかった。おかげで迂回してきたザクと正面から突っ込んできたザクにより、ガスのチームは後退させられ、戦車二両を失った。
　アレクサンダ大尉は後退するガスを助けるべく、左の防御陣地から主力戦車のチームを移動させ、ガスの戦車と合わせて丘の再奪取をこころみた。幸いモビルスーツは一機が行動不能らしい。この機会に丘を取れなければ、ただでさえ、戦車の頭上から砲弾をまかれているのだ。このうえ丘をとられて上から撃たれたのではかなわない。
「航空支援は？」
　アレクサンダ大尉は通信担当に声高にたずねた。通信担当は後ろを向いたまま応えた。
「十分待てと、」
「くそ」
　通信担当は振り返った。
「あと、司令部から命令です。現在位置を動くな、敵モビルスーツの前進を阻止せよ、です」
「 …了解と伝えろ」
　通信担当は通信器に向き直ると短くタイプした。送信が終ると、また振り返った。
「支援要求がえらい勢いで飛び交ってますよ。しかも敵の戦闘機が上空で頑張ってるみたいです」
「くそ、自力でやるしかないか」
　アレクサンダ大尉は移動可能な部隊に対して丘に集結するよう指示をだした。指揮車両にも前進を指示、自らもモビルスーツの阻止に向かった。

　ハートゥの目の前の主スクリーンにはラズィ機のバックパックが映っていた。ハートゥ機の先をラズィ機が進んで行く。ラズィ機の動きは鈍い。
「ハートゥ、戦車だ。攻撃する」
　ラズィの声が通信器から響きハートゥはザクを横飛びにジャンプさせた。丘の頂に戦車の影が見えた。
「うおおおお」
　ラズィの叫び声とともにラズィ機のザクマシンガンが火を吹いた。ばらまかれた一二○ミリ砲弾が着弾してに丘の上半分が砂煙でけぶった。
　もっと慎重に狙いを定めてから撃てば良いのにとハートゥは思ったが、彼はザクを丘を斜めに駆けあがる運動をさせた。ラズィはその場で撃ちながら前進、ハートゥは側面から攻撃する。
「ハートゥ、はやく、はやく」
　ラズィが叫んだ。ハートゥは素早く丘を駆けあがった。そして戦車の後ろ、ラズィから影になっている部分にさらに三両の戦車を認めた。
「敵戦車、新たに発見。攻撃します」
　ハートゥの通信にラズィは怒鳴った。
「ちょっと待て、すぐに行く」
　ラズィの応えにかまわずハートゥはザクを突進させた。スラスタを全開にしてジャンプ、敵の戦車編隊のどまん中に着地した。
「食らえ」
　ハートゥは口の中でつぶやくとザクマシンガンを連射しながら振り回した。砲弾はザクの高さから降り注ぎ、一両の戦車が弱い上面からの攻撃（トップアタック）に炎に包まれた。ハートゥの正面の一両が急加速し体当りをかけたが、ハートゥは苦もなく避けた。
　避けながらハートゥは遠ざかって行く一台の装甲車が情報戦闘車両であることに気ついた。
「あれは、指揮車？」
　その車両は他の戦車とアンテナとマーキングが多少異なっていた。
「指揮車両を発見した、攻撃する」
　ハートゥは通信器に向かってつぶやくように言うと、スラスタ・ペダルを踏み込み、装甲指揮車を目がけてジャンプした。ザクマシンガンの砲口が戦車に向いた。
　ハートゥのザクに狙われた装甲指揮車は全速で後退した。ザクマシンガンの砲口が自分の乗機に向いていることを知った装甲指揮車の車長は
「ふりきれない！」
と叫び、それを聞いたアレクサンダ大尉は反射的に叫んだ。
「全員降車！、逃げろ！」
　同時にアレクサンダ大尉は上部ハッチに手をかけた。砲手は即座に下面ハッチに向かい、操縦手は戦車を減速させた。
　ハートゥ機が、装甲指揮車のそばに着地した。ザクマシンガンの狙いがわずかに修正され、火を吹いた。一二○ミリ徹甲弾が装甲指揮車のまわりに土煙をたて、数発目の弾が戦車の後部上面を貫いた。装甲指揮車が炎につつまれる前と同時にアレクサンダ大尉は車外に飛び出した。
　アレクサンダ大尉は地面を転がるとうつぶせになった。戦車の爆風が彼の頭上を通りすぎた。
　ハートゥは破壊した装甲指揮車から将校が転がり出たのに気付いた。連邦軍の将校なら今回の攻撃目標だ。指揮車を破壊しても指揮官が逃れてしまっては「指揮系統を破壊する」という目的を達成できない。ハートゥはとどめをささねばならない。彼は将校の姿をズームアップした。
　スクリーンの中の将校は半身をおこしてハートゥのザクを見上げた。ハートゥは目を細めて言った。
「こっちを見るなよ」
　将校の頭がまっすぐにザクを見上げ、ハートゥは将校と目が合った。目を見開いたおびえた顔。
「撃て、撃てよハートゥ」
　ハートゥは自分で自分に言い聞かせた。操縦捍の発射ボタンの上で親指が震えた。
「だめ！」
　ハートゥはつぶやくとザクのスラスタ・ペダルを踏み込んだ。ハートゥ機は大きくジャンプして丘を越えた。
　残されたアレクサンダ大尉は安堵のため息を吐いた。
「助かった」
　だが感慨に浸っている場合ではなかった。彼は大声で叫んだ。
「みんな無事か」
　砲手が燃える戦車の向こうから姿を現わした。続いて操縦手が焦げた戦闘服をちぎりながら現われた。砲手は咳をしてから言った。
「助かりましたね」
　うなずいたアレクサンダ大尉は辺りを見回して言った。
「運がよかった。ベラスケス軍曹、代わりの戦車を探せ。指揮は続行する」
　名を呼ばれた操縦手がゆっくり敬礼した。
「了解」
　そのまま丘の方へ走っていった。
　戦いはまだ終らない。


　ゆるやかな丘の頂には連邦軍の重装歩兵が固まっていた。丘を越えれば連邦軍の連隊司令部があった。
　バルザップ機が構えたザクマシンガンが丘の頂へ火を吹いた。丘の頂が着弾で巻上げられた土砂で煙った。丘からの攻撃がやんでいる間にナガイ機が丘へ向けて前進した。
「ナガイ、早くしろ」
　ナガイは着実に一歩ずつ丘を上った。と、ナガイは右側面の赤外線センサーが警報を発した。ミサイルだった。
「ど、どこから」
　ナガイはザクを振り向かせた。迫り来るミサイルをショルダーシールドで受けた。爆発の衝撃でナガイ機はすこしたわんだ。
「ナガイ、ナガイ、大丈夫か」
「シールドで防ぎました。敵はどこから撃ちましたか？」
「丘の右、三百メートルくらいだ」
「上手な連携ですね」
「ナガイ、褒めてる場合ではないぞ」
　さらにミサイルが飛来するのを認めたナガイはザクをジャンプさせてバルザップ機のそばまで後退した。この一帯はミサイルで幾重にも守られている。
　物言いたげに振り向いたナガイのザクを見てバルザップ大尉はつぶやいた。
「これ以上進めんな」
「集めますか？」
　バルザップは中隊の皆を呼び集めようとしたとき、敵味方識別装置が新たなモビルスーツの接近を告げた。
「ラズィか？」
　バルザップはカメラを切り替えた。スクリーンに紺青の鮮やかなグフが三機映った。識別信号はシベルク中佐の小隊を示していた。
　グフの飛行距離は長かった。バーニアからガスを噴き出してバルザップたちの前に着地、だがそのままバーニアを噴かすとさらにジャンプし、丘を越えていった。
「中佐！！」
　バルザップは驚いた。
「ナガイ、丘を廻り込むぞ」
　言うな否やバルザップはザクのスラスタを全開にして丘へ向けて飛んでいった。
「りょ、了解」
　危険という台詞を飲み込んでナガイも飛んだ。
　二人のザクが廻り込むのにしばらく時間がかかった。グフならばひと飛びの丘がザクでは飛び越せない。
　やっと廻り込んで丘を越えると三機のグフは戦闘を終えていた。指揮官用のアンテナが頭部についたシベルク中佐の青いグフがバルザップ達の方を向いた。記念塗装のような鮮やかな青い色のグフだった。
　シベルク中佐がバルザップと通信回線を開いた。
「思ったより連邦はやるな。まぁ、いい。バルザップ大尉、撤退準備を始めろ。もうこの辺には敵の指揮中枢はない」
　通信用サブスクリーンに映ったシベルク中佐は忙しそうに言った。
「中佐はどうなされるので」
「視察を続ける。よく敵を知っておかんとな。それと、おまえたちの戦いぶりも見ているぞ」
　シベルク中佐は配下の二機のグフに指示を出した。そしてバルザップの方を向いた。
「次へ行く。撤退指示を見誤るなよ。健闘を祈る、大尉」
「中佐も御武運を」
　シベルク中佐の姿が通信用サブスクリーンから消えた。そして三機のグフはバーニアを全開にして飛び去った。またたくまに丘を越えて識別信号が消えた。
　バルザップは飛び去ったグフから視線を移して辺りを見回した。
「すごいな、グフは」
　連邦軍の戦車の残骸がいくつか転がっていた。バルザップはグフの能力とシベルク中佐の腕に感嘆した。そんなバルザップにナガイが声をかけた。
「大尉、みんなを集めましょうか」
「うむ」
　ナガイの集合をつげる声が通信器から聞こえた。バルザップは丘の頂の残された重装兵が移動するのに気付いてザクマシンガンの掃射を加えた。
　これから撤退しなければならない。バルザップは連邦軍の立ち直りが遅いことを祈った。

☆

　シベルク中佐のグフは戦場を縦横に飛び回った。やがて中佐は潮時と見てモビルスーツ部隊へ撤退の信号を放った。撤退の信号弾は空を七色に染め上げた。
　その合図にＤ中隊を含むモビルスーツ部隊は後退を始めた。モビルスーツ部隊はあらかじめ用意されていた軽陸戦挺ギャロップ、トレーラー、輸送機に収容され次の防御地点へ向かった。空の輸送部隊が多数見受けられ、帰還しなかったモビルスーツも多い。その戦場から遠ざかる動きに連邦軍は気づきつつも追う事ができなかった。
　拠点防御で連邦軍に出血を強いるのではなく、モビルスーツの機動力を生かして敵の奥深く蹂躪し、敵の突破力を奪うのがシベルク中佐の作戦だった。満足ゆく結果を得られたシベルク中佐だが、思いのほか連邦軍の反撃は厳しく失ったモビルスーツは少なくない。中佐は前途の困難を思った。
　一方、連邦軍は傷ついた前線の部隊をそのまま防御陣地の攻略に残したまま、新たな戦力を投入した。後方から現われた新手の戦力はブカレストを迂回して東へ進撃した。この時点では連邦軍の狙いがキエフかオデッサかはっきりしていない。

to be continue...