宇宙は暗いし広すぎる。青い空に青い海、白い空が懐かしい。
ザクのコクピットのスクリーンに映る地球はすぐそばにあるにもかかわらず、そこへ行くには大気圏の熱い壁を越えねばならず、最も近いコロニーは何万キロメートルもの彼方だ。今この宇宙空間には何もない。重力さえ感じない。宇宙とは寂しいところだとグランヒッコリは思うのだ。
グランヒッコリはスクリーンの端に目を留め、おもむろに通信回線をひらいた。
「ティエン、固定しろ」
主スクリーンの左端からティエンのザクがゆっくりと漂い現れた。わずかに回転もしている。
「すみません」
通信器から聞こえるティエンの声は緊張していた。慣性運動を止めようと慌てているのだろう。
ティエンの返事にもかかわらず、ティエンのザクは主スクリーンを横切りつづけた。回転も止まらない。ザクの手足はばたばた動いているのだが効果が無かった。ＡＭＢＡＣシステム（慣性質量による姿勢制御システム）を上手に使えないようだ。放っておくといつまでもばたばたしていそうだ。グランヒッコリは首を振った。
「コンピューターを使ってよし」
「は、はいっ」
すぐにザクの動きに変化が現れた。ザクのアポジモーター（姿勢制御に用いる小出力のロケット・モーター）から小さな炎が噴き出て動きが止まった。スクリーンの中に静止したザクは写真のように動かない。
姿勢を固定するならばコンピューターに任せてもよいのだが、ザクの姿勢制御コンピューターはプロペラント（推進剤）を遠慮なく使う。プロペラントの残量は生死にかかわるから使わないで済むなら使わないほうがいい。
「ティエン、元の位置へ戻れ」
「はい」
ティエンのザクはメインスクリーンの中央からゆっくりと左端へ移動し消えた。グランヒッコリはセンサーで位置を確かめた。グランヒッコリのザクを先頭にして右にブーカ機、左にティエン機がいる。トライアングルフォーメーションができた。この三機がローレライのモビルスーツ部隊だった。
グランヒッコリは通信器を使った。
「こちらローレライ・リーダー、フォーメーション完了」
すぐに応答があった。
「こちらウルフ・リーダー、了解した。では模擬戦をはじめるか？」
ウルフ・チームは僚艦「戦狼」のモビルスーツ部隊だ。アドラ中尉が指揮するMS-R09リック・ドム三機からなるチームだった。
「了解」
「これより模擬戦を開始する」
ウルフ・リーダーとの通信はきれた。グランヒッコリはブーカとティエンと通信回線を開いた。
「ウルフ・チームが来るぞ。ティエン、わかったか」
「は、はいっ」
「ブーカもわかったな」
「了解」
ブーカの声は元気がなかった。最近のブーカは元気が無かった。オデッサで負けたのがこたえてるのだとグランヒッコリは思っていた。
今、第九八哨戒戦隊のモビルスーツ部隊は訓練を行っていた。地球軌道で出来たてのローレライ・チームはウルフ・チームを相手に模擬戦闘を行うのだ。
ローレライ・チームは防衛線を張ってウルフ・チームの襲撃を待った。
メインスクリーンに映る光る地球の縁を眺めながらグランヒッコリはティエンに注意を与えた。
「どこから来るかわからないぞ。センサーだけに頼るな、自分の目でみろ」
「はいっ」
ティエンの声がヘルメットに響いた。
グランヒッコリはメインスクリーンに映る光の点を見つめていた。もし動いているものがあれば、それはウルフ・チームのリック・ドムだ。だが瞬かぬ星々のあいだに点は見えなかった。
グランヒッコリの肉眼より先にセンサーがウルフ・チームに気づいた。
鳴り出した警戒装置に対応してメインスクリーンにズームアップされた宇宙が映し出された。光る点が三つ動いていた。ウルフ・チームだ。月に近い方向から来る、つまり上からだ。地球軌道上では上下の認識があるのが助かる、とグランヒッコリは叫んだ。
「敵、発見、一〇時、上方」
冷静にグランヒッコリは敵の位置、ベクトルのデータをブーカとティエンのザクへ発信する操作をした。操作しながらレーザー通信でブーカにたずねた。
「迎撃するぞ。彼らは防衛線へ向かうかな？それともこちらを叩きに来るかな？ブーカ、どう思う？」
グランヒッコリは加速のベクトルを入力しながら答えを待った。だが、ブーカの声がしない。
「ブーカ？どうした？？」
「叩きにくる、かな？」
ブーカの反応が鈍い。グランヒッコリは顔をしかめながら言った。
「加速する。続け」
「はいっ」
「了解」
グランヒッコリは主バーニアを最大推力で噴射した。グランヒッコリのザクは急加速で飛び出した。つづいてティエンのザクが、遅れてブーカのザクが続いた。
「いったいどうしたんだ、ブーカ」
と、ウルフ・チームの三機のモビルスーツへ急接近しながらグランヒッコリはつぶやいた。
ローレライ・チームはウルフ・チームのリック・ドムに急接近した。ローレライ・チームの動きに合わせてウルフチームは散開した。三機が別々の方向へ散ったのだ。
グランヒッコリは舌打ちした。まずブーカに一機追わせ、残り二機はティエンと二人で防衛線近くで迎撃する。
グランヒッコリはブーカに向かって指示した。戦闘機動中はレーザー通信に労力を割けないのでモビルスーツのマニュピレータを用いたサインを出す。グランヒッコリはザクの右手をあげ、右へ向かって加速しているリック・ドムを指差した。ブーカ機はわずかにうなずくとリック・ドムを追うべく加速した。
ティエンには自分の後に付いて来いと指示ずればよかった。グランヒッコリはティエンに合図しようとして左を向いた。そこには左へ逃げたドムを追って加速を開始したティエン機があった。
「あ、あ、」
グランヒッコリは言葉を失った。しかたない、とグランヒッコリはティエンを追って加速した。ともかくティエンに追い付かなくてはならない。追い付いて指示をださなければならない。ところがティエンは全開で加速していて距離が縮まらない。
ノーマークになったリック・ドムは防衛線に一直線に向かっているだろう。
主スクリーンの中でティエン機のバーニアの光とその先に見えるリック・ドムの光点を見つめながらグランヒッコリはつぶやいた。
「なんてこった」
リック・ドムは突然進路を変えた。防衛線へ進路を取った。追い付くチャンスだった。グランヒッコリはすばやく進路を変えた。ティエンはわずかに遅れて進路を変えた。そのためグランヒッコリがティエンの前に出た。
グランヒッコリはザクの右手を動かした。「自分に続け」という合図を送った。
「はいっ」
ティエンの元気な声が通信器から響いた。レーザー通信ではなく通常の無線通信だった。グランヒッコリは応えた。
「無線封鎖中だ」
「あっ！」
狼狽したティエンの声がして通信がきれた。
先を行くリック・ドムが接近してきた。こうなっては防衛線に向かうより目の前のドムを撃墜してからノーマークのドムを攻撃するしかないだろう。
グランヒッコリはザクマシンガンを準備した。リック・ドムが射程距離に入ると同時にトリガーをひいた。曳光弾の光の線がのびてリック・ドムの周りに収束したが、すばやく避けたリック・ドムはくるりと向きを変えた。リック・ドムはバズーカを構えていた。
バズーカの砲身が丸い点に見えた。グランヒッコリは急いで姿勢を変えて主バーニアを全開にした。グランヒッコリ機は滑りおちるようにバズーカの射線から離れた。
ティエンは突然視界から消えたグランヒッコリ機に驚いていた。そこにバズーカから放たれた訓練弾が襲った。
「きゃっ」
揮発性のペイントが詰まった訓練弾はティエン機の腰部に炸烈し、おおきな蛍光ピンクの花を描いた。着弾の衝撃とあっけなく撃墜マークをつけられたティエンはくやしそうにザクを止めた。
「シーハ機撃墜ね。クジラちゃ〜ん、残念でした」
リック・ドムのパイロット、ハンク伍長の声が楽しげに響いた。近距離の無線通信だ。クジラちゃんと呼ばれたティエンは恥ずかしさで真っ赤になった。
グランヒッコリはザクマシンガンを連射した。ハンク機は難無く避けた。避けながらグランヒッコリを狙った。
ぼんやりと浮かんでいるティエン機のまわりでグランヒッコリのザクとハンクのリック・ドムは互いに隙を狙って機動した。背後をとるか、相手の隙を見つけて射撃するのだ。主バーニアが絶間なく咆哮し、ティエン機を中心とした狭い空間の中で二機のモビルスーツはドッグ・ファイトに突入した。
一方、ブーカはライデル軍曹操るリック・ドムを追いかけていた。主スクリーンの中に逃げるリック・ドムのバーニアの光が輝いていた。プロペラントの残量を考えるとそろそろ加速を終了しなければならない。
「いつまで加速する？」
ブーカはつぶやいた。つぶやいたと同時にリック・ドムが反転した。ドムの背後の空間が噴射されたガスで輝いていた。主バーニアを全開にしたようだ。
「わっ」
ブーカはザクマシンガンを撃った。ライデル機のまわりに訓練弾が集中する。だが弾着前にライデルは回避機動をとった。機動と同時にバズーカを放った。
ブーカは射線から離れるように、ついでにライデル機の機動に合わせるようにザクを機動させた。その動きにライデルは翻弄された。ブーカ機の接近をゆるしてしまう。
二機のモビルスーツの相対ベクトルが縮まり、彼我の距離も百メートルと接近戦の間合いになった。ライデルは躊躇なくヒートサーベルを起動しバーニアを全開、ブーカのザクを強襲した。百メートルの距離は一瞬にして縮まった。
「さすが」
ブーカはつぶやいた。ヒートホークを構えようとした。コクピットの主スクリーンにはドムの姿が映った。バーニアの噴射光を背後に大きく迫ってきた。
「！」
爆発の煙と閃光の中から飛び出す白いモビルスーツ。ブーカの心に刻み付けられた記憶、彼女は反射的に逆噴射した。身体中の筋肉が硬くなっていた。
逆噴射によるザクの加速がドムの加速に捕まった。無防備に退がるザクにドムが追いすがりヒートサーベルを突き出した。訓練用のヒートサーベルがザクの胸部に当たった。
「ラクハン機撃墜。噂ほどでもないな、軍曹」
ライデル軍曹の冷静な声が通信器から響いた。
その声はブーカには聞こえていなかった。ブーカは茫然としていた。身体中の筋肉がこわばっていた。
「きこえているのか？ ラクハン軍曹？」
ブーカはたった今、自分に起こった出来事が信じられないでいた。
「ラクハン軍曹、どうした？」
「…なんでもない。異常なし」
「？ 俺は帰還するが、問題ないな」
「了解した。私も帰還する」
ブーカは通信をきった。私は、一体どうしたのだ。
ウルフ・チーム隊長、アドラ中尉の駆るノーマークのリック・ドムは防衛線にたどり着いた。ローレライの前方二キロでドムを静止させ、腕時計を眺めた。きっかり一分たったところで通信器のスイッチを入れた。
「防衛線を越えて一分たった。船は沈んだ。訓練終了、全機帰還せよ」
ザクはリック・ドムにくらべ性能が劣っていた。とはいえ、グランヒッコリとハンク伍長の決着はつかなかった。彼らは決着がつかなかったことをお互いに残念がった。だがそれはパイロットとしての残念であり、艦隊直衛部隊指揮官としての能力不足に、グランヒッコリは冷や汗が流れる思いだった。
グランヒッコリは通信機を使った。
「ローレライ・チーム、帰投する。いいか？」
「はいっ」と元気よくティエン。グランヒッコリは船へレーザー通信を送った。送りながらブーカの返事を待った。だがブーカの反応がない。
「ブーカ、帰還するぞ」
「…聞こえてる」
やはりおかしい、とグランヒッコリは思った。
「聞こえてる、だ？」
「前言撤回。ラクハン機、了解した」
「加速開始。ティエン、遅れるな」
「は、はいっ」
三機のザクは加速した。
グランヒッコリはブーカ機にレーザー照準を合わせ通信回線を開いた。通信スクリーンにブーカのヘルメットが映った。
「ブーカ。どうかしたのか？」
ブーカのヘルメットがわずかに動いた。
「…どうして？」
「上の空だ」
ブーカはグランヒッコリの問いに、正直に自分の感じる恐怖を言おうか言うまいか考えようとしたが、唇から言葉が滑りでていた。
「死ぬのが怖いのよ。ここが怖いの」
グランヒッコリは意外な言葉に驚いた。モビルスーツを手足のように操り、激戦の中で戦神のように戦うブーカの言葉とは思えなかった。
「君がそんな事言うなんて」
「…」
今までは怖くなんて無かったよとブーカは言おうとした。グランヒッコリはブーカの無言をフォローするように言葉を続けた。
「俺も死ぬのは怖いさ。出撃するたびに生きてかえれるかどうか不安になる。けどな、」
グランヒッコリはなおも言葉を続けた。スクリーンの中のブーカのヘルメットはうつむいたまま動かなかった。
ブーカはグランヒッコリの言葉を聞いていなかった。グランはわかっていない。「生きてかえれるかどうか」の不安なんて私にはない、私が伝えたいのは「死ぬ恐怖」いや「殺される恐怖」なのだ。今まで敵を落す確信と同じほどに自分が死ぬことが”わかる”のだ。グランヒッコリの恐怖は生ぬるい、言ってもせんない、とブーカは思った。
加速終了後、三機のザクのトライアングルは崩れた。ブーカが位置を補正する。ティエンは補正に手間取った。
「ティエン、君は姿勢制御が苦手のようだな」
「は、はいっ。苦手であります」
「戻ったら、シミュレーターで訓練」
「は、はい少尉」
ウルフ・チームの二機が先を行く。ローレライ・チームはその五キロメートル後方をついていった。
やがて、瞬く光の点が現れた。第九八哨戒艦隊だ。ムサイ級巡洋艦「戦狼」とローレライ級仮装巡洋艦「ローレライ」同「ラプンツェル」からなる地球軌道哨戒艦隊だ。
グランヒッコリはメインスクリーンの表示を注視した。スクリーンの中に四角い目標指示ボックスが現れた。箱の中央に鋭く瞬く光源があった。母艦ローレライが放つレーザー信号だ。
グランヒッコリはザクの通信パネルを操作した。こちらもレーザー信号を放つ。ミノフスキー粒子はほとんど検出されていないが戦闘航行中だった。
地球の陰でローレライはゆるやかに加速していた。それを後方から追いかけるようにグランヒッコリ達の三機のザクも加速していた。
「こちらローレライ・チーム。着艦する」
「こちらローレライ、加速時収容で着艦してください。よろしいですか？」
通信を担当する女性兵士、ポーリンの声だった。
「了解。誘導頼む」
「回収用のネットを展開します。着艦は二時の方向から一機ずつ。レーザーセンサー、開放」
ローレライの船腹にあるモビルスーツ格納コンテナの扉が開き、モビルスーツを捉えるためのネットが張られた。格納コンテナからモビルスーツを誘導するためのレーザーセンサーが作動した。それはモビルスーツ格納コンテナから二時の方向へ伸びて光の道を作った。
まだ訓練は続いていた。自動着艦を使わない。ティエンに見本を見せるべく、グランヒッコリはまずブーカに着艦させることにした。
「ブーカから着艦せよ」
「了解」
「ブーカの次はティエンが着艦する。よく見ておけ」
ブーカのザクの接近はレーザーセンサーの誘導光にぴたりと一致していた。まるでレールの上を曳かれるようだ。とてもローレライは加速しているとは思えない。ブーカのザクは船腹に近づくと展開されているネットにそっとつかまった。ザクはネットをつかんだままモビルスーツ格納コンテナへたたみ込まれた。
「ラクハン機、格納終了。三番コンテナの収容ネットを展開します。レーザーセンサー、開放」
第二モビルスーツ格納コンテナから収容ネットが展開された。レーザーセンサーが伸びた。
「ティエン、いいぞ」
「了解」
ティエンの声は緊張していた。彼女のザクはふらふらしながらレーザーセンサーの軸の上に乗った。ゆっくりとネットに近づいてゆく。ローレライは加速を続けているので何もしないとティエン機は置いてけぼりにされてしまう。ティエンはネットへ近づいくためにバーニアを調整した。加速したザクはネットに衝突した。
「きゃっ」
ネットは膨らみながら衝撃をやわらげた。続いてアームが伸び、ザクが反作用で飛び出さないように捕まえた。ティエン機は網に捕われた魚のようにコンテナへ収納された。
グランヒッコリはため息をついた。
「二番コンテナの収容ネットを展開します。レーザーセンサー、開放」
グランヒッコリのザクを収容するネットが展開された。グランヒッコリは機体をレーザーセンサーに同調させるとゆるやかに加速した。多少加速の調整を行ってネットにぶつかった。
「ブーカのようにはゆかないか」
反動で飛ばされるグランヒッコリのザクをアームが捕らえた。グランヒッコリのザクは格納された。
モビルスーツ部隊の収容を終えたローレライはさらに加速し、戦狼とラプンツェルと編隊を組み直した。
to be continue...
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